その夜。

 イスメトはそのままメルカ達のテントに泊めてもらうことになった。
 もちろん彼女と一つ屋根の下とはいかない。
 他の男性商人のテントを間借りさせてもらうことにする。

 ――ここだけの話、荷ほどきをして薄着になったメルカは、なかなかのナイスバディだった。

「アタシは別に気にしないのにな~……」

 彼女はねっとりと意味ありげに視線を飛ばしてきたが、イスメトが真っ赤な顔で首を横にぶんぶん振ると「アハッ、冗談! かーわいっ」と笑い出す。
 正直、ちょっと苦手なタイプかもしれないとイスメトは思った。

「アンタ、それで正解だよ。メルカの誘いに乗ってみろ。すかんぴんにされるのがオチだぞ」
「ちょっと! 変なこと吹き込まない! そういう商売はしてませんー!」

 商人達はケタケタ笑う。メルカも笑う。
 下品なやり取りだが、彼らの間には家族のような温かみがあった。
 実際、キャラバン自体が血縁者の集まりなのかもしれない。

(家族、か……)

 懐かしい響きだ。
 商人達より一足先に(とこ)に就いたイスメトは一人、郷愁に浸る。
 メルカに提示された仕事の内容を思い出しながら。

『ハガルまで護衛してよ。アタシら、オベリスクまで行くんだ』

 ハガル・オアシス。そこはラフラの次に巨大な湖を持つオアシスで、〈砂漠の民〉の生活を支える重要な拠点だ。
 しかし、最近は魔獣の増加によって過疎地になりつつある。

 そしてオベリスクとはこの場合、ハガル近くの岩壁にそびえ立つ巨大な塔のことを指す。その塔は、いつの時代からあるのかも分からない難攻不落の魔獣の巣窟として有名だ。

 イスメトにとっては、守れなかった約束を象徴する場所でもある。
 危険もついて回る。
 はっきり言って気は進まない。

(でも、エストを助けるため……なんだよな)

 今日一日で色々なことが起きた。
 自分には分からないことが多すぎる。
 ただ一つ言えるのは、エストを助けるため、今はとにかくセトを頼るしかないということだ。

 もっとも、その頼みのセトにすら不安要素が湧いてきたわけだが。

(世界に(こん)(とん)を広めた邪神、か……)

 昼間、大神官に言われた言葉が頭の端をチラついた。

【……あァん? なんだ、オマエも疑ってんのか?】
「うぉわっ!?」

 不意に目の前にセトの顔が現れ、飛び上がりそうになる。
 そうだった。セトは心を読むのだ。
 疑念など、抱いた瞬間に気付かれる。

 どうせバレるなら、面と向かって聞いてしまった方がいいのかもしれない。

「……実際、どうなんだ? 大神官様が言ってた話、本当なのか?」
【ハッ! あんな神話、勝者の()(まん)に決まってんだろ】
「勝者……?」

 セトの顔には、(いら)()ちと嫌悪感が(にじ)()ていた。
 それらはどうやらイスメトに向けられたものではない。

【あの神殿、ホルスのものだろう? ダッセェ隼の( はやぶさ )神像がやたら自己主張してやがったしな】
「そりゃあ、ホルス神はナイルシアの国神だし……」
【ハッ! 俺は『旧神』、あっちは『国神』と来たモンだぜ!】

 イスメトは事実を述べただけだが、セトはあからさまに嫌な顔をした。

【これだけは言えるねェ! お前ら〈砂漠の民〉にとって、ホルスはただの侵略者だ!】
「え……でもホルス神は、ナイルシア全土を守護してくれる神で……」
【モノは言いようだなァ? 要は、かつて存在した小国をすべて侵略し、支配した神ってこったろが】

 オアシスはもう三百年以上、ホルスを(あが)める中央政権に統治されている。
 だがセトにとって、そのあり方は『当然』ではないようだった。

【この土地は元々、俺と歴代の依代どもが(ひら)き、守ってきた。それが俺の眠っている間にホルスの領土となり、俺は旧神などと呼ばれて信仰を失いかけている……この意味が分かるか?】

 イスメトはようやく(ろん)()を理解する。

「もしかして……ホルス神が、セトの信仰を追い出したってこと?」
【十中八九そうだろう。例の神話もその(ため)に作られたワケだ】
「じゃあ……『楽園を壊して混沌を広めた』っていうのは……?」

 イスメトは恐る恐る尋ねる。
 セトという神の核心――というより、(げき)(りん)に触れないか内心ビクビクしていた。

【そこが、この神話の悪意に満ちた部分よ】

 しかし存外、セトは淡々と答える。

【同時期に起きた二つの異なる事件を、さも因果関係があるかのように語ってやがる。そもそも俺が混沌の(ごん)()と言うなら、地下神殿での騒ぎはどう説明する?】

 アポピスは問答無用で自分たちを襲った。
 一方でセトは、依代を手に入れるという目的があったにしろ、イスメト達を守り、アポピスと戦った。

 セトとホルスを比較することは難しい。
 だが、セトとアポピス――混沌との比較であれば答えは明白だ。
 セトは少なくとも、混沌とは異なる存在である。

「そっか……そうだよな。やっぱり、旧神様が邪神なんておかしいよな」
【その呼び方やめろや】
「あ……ご、ごめん」

 他意はなかったが、(ふる)き神という呼称はどうやらセトのプライドを著しく傷つけるらしい。

「でも、なんでホルス神はそんなことをしたんだろう……」
【信仰はいつだって奪い合いだからな。もっとも、ヤツが俺を特別に嫌ってるってのもあるが】
「え……? き、嫌われてるの?」
【色々と因縁があんだよ。()()()、な】

 セトは『お互い』という部分をことさらに強調した。
 その顔には、凶悪な笑みが貼り付いている。

【ハッ……目覚めたからには奪い返すさ。この世で最も偉大な神は誰か――〈砂漠の民〉どもに力尽くで思い出させてやる!】
「ち、力尽く……!?」

 イスメトの頭にすぐさま形成されたのは、目の前の人相最悪な男が人々を脅し回って信仰を強要するイメージだった。

【オマエ……俺を何だと思ってやがる】

 そのイメージは速攻で本人にも伝わっていた。
 が、セトは怒ったというより(あき)れた声色で、布教活動の詳細を語り始める。

【いいか。神殿から敵視されてる以上、最も穏当な手段は消え去った。なら、ここからはインパクトで勝負するしかない】
「イ、インパクト……?」
【具体的には、このオアシス地帯全域から魔獣を一掃する。クソ鳥頭ホルスなんぞより、俺の方が百倍有益な神だと(みな)に広く知らしめるためにな】

 想像していたよりも真っ当な内容に、イスメトは心の底から(あん)()した。
 少なくとも民を脅して回るだとか、国神に殴り込みに行くだとか、そういう野蛮な方針ではなさそうだ。

【もちろん、オマエも一緒にやるわけだが】

 しかし、続くセトのこの言葉には血の気が引いた。

「えっ!? ぼ、僕が……っ!?」
【他に誰がいる。依代がいなきゃ話になんねェだろが】
「セ、セトだけでなんとかできたりは……」
【しねェから、クソめんどくせェ契約結んでテメェの体を間借りしてんだよ!】
「で、でも! 魔獣を全部やっつけるなんて無理だ! そんな途方もない……!」
【安心しろ。手っ取り早い方法がある】

 セトはイスメトの頭に一つのイメージを送った。
 天高くそびえる、巨大な四角錐(しかくすい)の建造物。

【今はどうやら機能してねェようだが……オベリスクは元々、魔獣どもを弱体化させるために神が総力をあげて作り出した〈神造物〉( アーティファクト )だ。この地にあるものも、その一つ。そいつを使う】
「オ、オベリスク……」

 イスメトはすぐさまかぶりを振った。

「そ、それも無理だよ……オベリスクにはもの(すご)く強い魔獣が住み着いてて――」
【だがこれ以上に効率的な手段はない。オマエだって、早く娘を助けたいのだろう?】
「それはそうだけど……!」
【なら決まりだ。このままコイツらを護衛する。んで報酬を手に入れたら、とっとと神器に昇華させてオベリスクへ乗り込む】
「乗り込む、って……」

 それはやっぱり、僕が、セトと?

【心配するな。道中でしっかり鍛えてやるよ。どこに出しても恥ずかしくない、いっちょ前の戦士にな】

 セトはなんてことはないとでも言うように首を鳴らす。

【――オマエ、筋は悪く無さそうだしな】

 そして姿を消した。

「オベリスクに……僕が……?」

 イスメトは一人、俯く(  うつむ  )

 エストのため、セトの決定には従うべき――
 それはつい先ほど自分自身で出した結論だ。
 その考え自体は今も変わっていない。

 それでも、心は二の足を踏んだ。
 魔獣への恐怖。それも確かにある。
 しかし、イスメトがオベリスクを訪れたくない真の理由は別にあった。

 そこは八年前、父が足を踏み入れた場所だ。
 そして父は、英雄イルニスは――
 二度とイスメトの元に帰っては来なかった。


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