【今日は神器なしで神術を使ってみろ】
「ええ!? そんなこと、できるわけ――」
【今なら可能なハズだ。左手を見ろ】

 促されるままイスメトが視線を落とすと、左手の甲に赤く光る幾何学的な模様が浮かび上がっていることに気付いた。

【俺に勝った褒美だ】

 これが褒美?
 イスメトの疑問を先取るように、セトは続ける。

【正確には、その刻印はただの目印。昨夜から、お前の体に神力を流し込んで定着させておいた。褒美って言うのはそっちだ】
「僕の、体に……?」

 言われてみれば、全身に薄らとセトの力を感じる。
 いつも背中に背負った神器から感じるものと同等の気配だ。
 セトが神器を取り上げたのは、この気配に気付かせるためなのかもしれない。

【仮にまた、俺がオマエから切り離されるようなことがあったとしても、それ以前に肉体へと定着させた神力ならば残る。いざという時の備えというヤツだ】
「それって、もしかしてセトがいなくても神術を使えるってこと?」
【回数制限は付くがな】

 セトは五キュビトほど離れると、神器を右肩に預け、左手でクイクイと合図をする。

【何でもいい。自分の体を神器と思って神術を打ってみろ】

 イスメトは左手の甲を見つめる。
 円形の紋様に沿って放射状の線が三本。太陽と呼ぶには線が足りないが、近しいものを感じる図形だった。
 拳を握ると、ひときわ赤く刻印が輝く。

「――()は烈風。砂より出でて虚空を喰らいし神の(いかずち)――」

 そして宣言を終えたとき、左手から光が弾けてイスメトの周囲を舞った。

「――(塵嵐の雷轟(シエラ・アストラフィ))!」

 槍の代わりに突き出した手のひらから、赤い雷撃が放たれる。
 それは薄闇を引き裂きながら真っ直ぐにほとばしった。
 その先に立つセトは、同じく手のひらで容易(たやす)くそれを受け、握り潰すようにして吸収する。

「ほ、ほんとに出た……!」

 イスメトは目を見開きながら、おずおずと自分の手を揉んだ。
 痛みはない。傷もない。いつも通りの自分の手。
 ただ一つ気が付いたのは、左手の甲に刻まれていたはずの線が一本減っていることだった。

【その刻印は、お前の中に定着させた神力の残量を表す。今のように術を放てば減り、俺から神力の供給を受ければ増える。最大数は……今のオマエなら三本(ソレ)が限度だろう】

 説明を聞く間にも、消えたはずの線は三秒と待たずに再生していく。

【それと、その刻印は他のヤツには見えん。手数を知られる心配は無用だ】
「なるほど……セトがいれば、すぐに力が回復するのか」
【正確には俺の神域内だからだが……ま、今はその認識で良い。これで仮に神器を失うような事態に直面しても、それだけで手詰まりとはならんわけだ】

 イスメトは感心する半面、眉をひそめる。
 初めて神術を習った時にセトは確かに言った。
 神器がなければ神術は放てない、と。

「こんな便利な方法があるなら、なんでもっと早く教えてくれなかったんだ? この方法なら、最初から神器がなくても神術を使えたってことだろ?」
【いや、恐らく無理だ。以前では容量が足りなかった。オマエの肉体、魂、両方のな】

 容量。
 依代に神力を注ぐのは、器に水を注ぐようなものなのだろうか。
 イスメトが脳内で俗っぽい置き換えをしていると、セトは意味ありげに笑う。

【あァ、そう言や昔、ちィとばかし事を急ぎすぎて、依代を内側から爆裂させちまったことがあったなァ】

 悪寒が、イスメトの背筋を猛スピードで駆け上がっていった。

「爆裂って……さ、さすがに冗談だろ?」

 セトは笑っているが、目はマジである。

【依代の体が俺の神力と馴染まねェうちは、神器ナシだとどうも事故りやすくてな。無論、今後も神器はなるべく使えよ? 術によっちゃァ、今のオマエでも体がブッ飛ぶ可能性がある】

 そう言って笑いながら、セトは神器をイスメトに放って返した。

「う……なんか頭痛くなってきたぞ……」

 ありがとう、いつぞやのセトの依代さん。
 あなたの犠牲は無駄にしません――
 イスメトは生まれた時代すら分からぬ先達に、密かに哀悼の意を捧げるのだった。

【ま、オマエに関してはあまり心配しちゃいねェよ。日頃から叩いて叩いてよォく伸ばしとかねェと、ニンゲンってのは存外すぐに壊れちまうモンだが……その点、オマエは逸材だ。叩けば叩くほど、よォく伸びる】
「……なんか褒められてる気がしないんだけど」

 それからイスメトは、今扱える神術をあらかた試し打ちするよう命じられた。
 今夜はきっと悪夢を見る。
 たとえばセトに(じか)()でじっくり(あぶ)られながら、(つち)(たた)き込まれる夢とか。

 疲労を笑う膝に鞭打ちながら村へ帰る頃には、宴もたけなわ――
 と言うより、ほぼ終わっていた。
 広場にはぼちぼちと家に帰る者、少人数で飲みを続ける者、()()の近くでいびきをかいている酔っ払いなどが見受けられる。

「もーっ、イスメト君、遅い~!」

 メルカは村の入り口付近に座り込み、ちびちびと麦酒を()めていた。

「ずーっと待ってたんだぞぉ、このイケズゥ~……」
「ご、ごめんごめん。えっと……僕らの葡萄酒は?」
「えー? あー、うん、これこれ~!」

 そう言いながらメルカが掲げた革袋は、明らかに萎んでいた。

「さっきアッサイさんが来てさ~。色々と話し込んでたら、間違えて飲んじゃったの~! アハハ、ごめんねー!」
【このアマ……】

 完全に出来上がっている。
 幸いセトは呆れ声で呟くだけで、いつかのように手を上げることはなかった。

「メルカ……だいぶ飲んだね。君のテントはあれ?」
「まぁだまだ、いけるっしょ~……」

 やっぱり一口、味見しておけば良かった。
 そんなことを思いながら無防備な要介護人を家族の元へ救急搬送し、イスメトは肩を落としながら宿に戻った。
 ジタら兄妹はもう寝ているのか、家は静かだった。

「……って、ジタ?」

 寝室に直行するつもりだったが、ふと台所に横たわる()(だし)の足が見える。
 こいつも飲み過ぎで撃沈か。
 珍しいこともあるものだ。

「おーい……そんな所で寝てたら風邪引く――」

 友に近寄り声をかけたところで、イスメトは言葉を呑み込んだ。
 ぴちゃっ、とサンダルが生ぬるい水を踏む。
 葡萄酒ではない。

 血――?

「ジタ!?」

 目をこらすと、ジタはうずくまり痛みを耐えるように震えていた。
 血は脇腹あたりから流れ出ている。
 後ろから刃物で刺されたようだった。

 しかし、一体誰が? 
 酔っていたとしても、あのジタが簡単に背後を取られる相手など――

「……っ、サ、シェ」

 ジタは苦鳴と共に妹の名を呼んだ。
 その視線が持ち上がった先には、呼ばれた本人が立っている。
 台所で使う短刀から血を滴らせながら。

「……神、ノ……気配……」

 呟く(  つぶや  )少女の瞳は、闇に黒く(ひず)んでいた。


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