「……ぅッ!?」

 直後、急激に体が重く感じ、イスメトは地面に膝をついた。
 息が上がり、心臓はバクバクと暴れている。

【体の主導権をオマエに戻した。しばらくは反動で動けまい】

 全身、特に両足と利き腕の筋肉が悲鳴を上げている。
 今にも倒れそうなほどの(けん)(たい)(かん)だ。
 それでもイスメトは地を這って、先ほど現れた石棺――エストが(とら)われてしまったそれになんとか手をかけた。

【ほォん……? 意外と根性あるじゃねェか】
「っ、エスト……エストは!?」
【あァ? 見てただろ。そん中だよ】
「無事なのかって聞いてるんだッ!」

 (のん)()にも聞こえる気だるげな声に、イスメトは相手が神であることも忘れて食ってかかった。

【生きてるっつの……って、オイ!】

 イスメトは動かぬ体に(むち)を打ち、石棺の蓋に手をかけようとする。

「うわっ!?」

 その時、不意に体が後方へと引っ張られた。
 何者かに首根っこを掴まれ、イスメトの足は軽々と宙に浮く。

【勝手に触んじゃねェ! 封印が解けたら事だぞ!】

 イスメトは首をひねり、自分を持ち上げた相手を仰ぎ見た。
 そこには赤い目を凶悪に光らせる、あの異形の顔があった。

「うわぁっ! ま、魔獣――ぐえッ!」

 イスメトはすぐに床へ(たた)()けられる。
 全身の筋肉痛も相まって(ひど)い衝撃だった。

【だァから! ここは有り難がるところだっ()ってんだろが、ったく……!】

 動物頭の異形は渋々と自分の顔を手で覆う。
 その手が顔を離れると、いつの間にか首から上が全くの別モノにすげ替わっていた。

「!? か、顔が人間に……」

 彫りの深い顔立ち。つり上がったアイラインに赤くギラつく眼光。
 凶悪な人相をしてはいるものの、その顔は間違いなく人間のものだった。
 左(ほお)にはオアシスの戦士達が好むお()()みの入れ墨まで入っている。

 唯一、普通の人間と違うのは、薄く光るその体がわずかに透けて見えることくらいだ。

【姿を見せるたびに騒がれたんじゃ、たまったもんじゃねェからな】
「ぅ……す、すみません」

 ここにきてイスメトはようやく冷静さを取り戻してきた。
 この男は神だ。
 それも恐らく、皆が探し求める旧神様。

 そして自分は、その旧神様に願った。
 この命と引き換えにエストを助けてくれと。

「あれ……そういえば僕、心臓、を……」

 恐る恐る胸に手を当てる。
 規則正しい鼓動を感じる。

【アレはオマエと同化するための儀式だ。心臓に見えたのはオマエの魂。マジで臓物を取り出したわけじゃねェぞ】

 神はイスメトの疑問に先回りで答えた。

「た、魂……?」
【あァそうだ。俺とオマエの魂は繋がった。今日からオマエは俺の器となり、その一生を捧げるのだ】
「い、一体どういう――ふごっ!?」

 言い終わる前に、イスメトの右手が勝手に動いて自分の鼻と口を塞ぐ。

(な、なんだ!? また体が勝手に――!)
【こういうコト、だ】

 神は意地悪く笑いながらその場にしゃがみ込む。
 イスメトと目線を合わせるため――というよりは、イスメトの戸惑う顔を見て楽しんでいるようだった。

【ついでに言うと、オマエの女は棺の中で眠ってる。アポピスの野郎と一緒にな。仮死状態ってやつだ】
「ふごふがが!」
【あ? 自分の女じゃない? 気があるのは確かだろ。細けぇこと気にすんな】
「ふ、ふごふご!」
【この中にいる限り娘は安全だ。それは保証する。だが、娘に憑いたアポピスを(はら)う算段がつくまではこのままにしておく必要がある】
「むっ、むごご……ぷはぁっ!?」

 呼吸困難で気が遠くなりかけたところで、イスメトはようやく自分の手から解放された。
 今のやり取りで分かったことが三つある。

 一つ、神様は僕の体を操れる。
 二つ、声にせずとも僕の心を読んで会話ができる。
 三つ、エストは無事。だがあの蛇の悪魔――アポピスに()()かれている。

「そ、その……エストを助けるには、どうすれば……」
【簡単だ。オマエが英雄になればいい】
「え……?」

 まるでエストのようなことを言われ、イスメトの目は点になった。

【あのクソ蛇野郎を倒すため、オマエには俺が本来の力を取り戻すまでの手伝いをしてもらう】
「本来の力……?」
【神の力とは即ち(  すなわ  )、信仰だ。が、どうも俺が眠っている間に、俺の信仰は廃れちまったらしい。そのせいで、今は本来の力の半分も出せてねェって話さ】
「そ、それと僕が英雄になるのと、何の関係が……」

 神はニヤリと口の端をつり上げた。

【大アリだ。オマエはその辺の(のう)()がただ言い触らすだけのナゾ宗教をありがたく拝むか?】
「お、拝まない、です……」
【だろォ? 神が名を上げるにゃあ、その神の名の(もと)にデッケェ偉業なり奇跡なりを起こす、英雄の存在が必要不可欠ってワケだ】

 つまり神はこう言うのだ。
 イスメトに、布教活動のシンボルになれと。

【もちろんオマエには俺の力を授けてやる。悪い話じゃねェだろ? 英雄志願の落ちこぼれ君】

 この流れにはびっくりするほどの既視感があった。
 まるで、村に伝わるあの物語だ。
 村で一番弱かった少年が、神の力を得て数々の困難を乗り越えて英雄となる――

 しかし、あれはあくまで物語。
 自分は英雄ではないし、その器でもない。

「む、無理です! ぼ、僕にはそんなことっ!」
【ハァ!? なんだその返答。くっそシラけるんだが?】

 神は(いら)()った様子でずんずんとイスメトに詰め寄る。

【オマエ、分かってねェな。この状況がどれだけの奇跡か、幸運か! この俺の依代(よりしろ)にしてやったんだぞ? 特にこれと言った実績も経験も特徴もねェただのハナタレ小僧をだ!】
「あ、あの……っ」
【いったい何の不満があるってんだァ、あァ!? 言ってみやがれ!】

 胸ぐらを掴まれ、イスメトは再び足で宙を()く。
 眼前には肉食獣のような形相が迫っていた。

「そ、そのっ、自信が」
【自信がどォした? んなモンなくたって()らなきゃ殺られるのが戦場だ!】
「で、でもっ! きっと僕なんか神様の足を引っ張るだけで――いでっ!」

 急に神が手を離し、イスメトは尻から地に落ちた。

【あァそーかィ、そーかィ。そんなに嫌なら他の依代候補を紹介してくれよ。こうなったらお前との契約を破棄して、ソイツと契約してやる】
「そ、それでもいいんだ……」

 イスメトはほっと胸をなで下ろしかけた。が、話はそう簡単でもなかった。

【当然、そうなるとオマエの願いを(かな)えてやる義理もなくなるわけだが】
「えっ……」

 それはつまり、エストを助けて欲しいという願いのことか?

【オマエが下りるなら、あの娘は棺ごと真っ二つにする。アポピスが肉体を得て外に出りゃ、大勢のニンゲンに危害を加えるだろうからな。今ここで器を壊しておくに越したことは――】
「そ、そんなのダメだ!」

 神の赤い目が、ギラリと光る。

【なァら……答えは一つだろ? ア?】

 (とつ)()に声を上げたものの、イスメトは返答に窮し(  きゅう  )た。

 英雄になって国に名を()せる?
 普通に考えて()(ちや)すぎる。
 まるで馬鹿げた子供の夢だ。

 しかし、やらなければエストは殺されてしまう。
 ならば答えは一つしかない。

 ――でも、本当にできるのか? 僕なんかに。

【ええい! できる、できないじゃねェだろグズが! こっちはテメェの望みを聞いてんだ!】

 神は(しび)れを切らしたように再びイスメトに詰め寄った。

【ハラの底じゃもう決まってんだろ! 口に出すまでにいったい何時間かけるつもりだ!?】
「うっ、あ、あの……ぼ、僕、僕が……」
【あァ!? 聞こえねェなァ!? もっとハキハキ喋れ(  しゃべ  )やゴミがァ!!】

 言葉にしていないことまで見通せるくせして、都合のいい時にだけ難聴になる神様である。

「やります……ッ! 貴方(あなた)の依代!!」
【ハッ! 最初からそう言え】
「そ、それで……貴方はやっぱり旧神様、でいいんですよね?」

 もはや疑う余地もなかったが、念のための確認だ。
 案の定、神は肯定した。

【大昔に、この神殿に(まつ)られた神のことをそう呼んでいるのなら――いかにも。俺がその旧神サマだ。どうやら、神名までは後世に残らなかったようだが】
「あ、えと……す、すみません」

 なんとなく申し訳ない気持ちになる。
 神はフンと鼻を鳴らした。

【我が名はセト。力偉大なる者にして、嵐と暴風の領主――そして今日からは、オマエの飼い主だ。よォく覚えておけ】
「セ、ト……」

 かくしてイスメトの英雄譚が強制的に幕を開けた。

 エストならばこの状況を喜んだだろうか。
 まさか本当に、自分が神の力を授かることになるとは。

 英雄? 信仰のシンボル?
 それならば常識的に見てもっと()(さわ)しい立場の人間がいるはずだ。
 戦士長だとか、神官様だとか――

「そうだっ、大神官様!」
【あァ……?】

 その時、イスメトは果てしない曇り空に一筋の光明を見た気がした。

「あ、あの! 貴方にもっと相応しい人を紹介できるかもしれません!」

 イスメトはエストの父親である大神官について、セトに話した。
 信仰を広めたい旧神と、その旧神を復活させようとしている大神官。
 まさに適任だ。

「大神官様ならきっと、僕なんかより力になってくれます!」

 もちろん彼ならエストのことも考えてくれるだろう。
 なにせ自分の娘なのだから。

【ほォん? 確かに、依代を神職から選ぶのは定番の選択だが……】
「じゃ、じゃあ、僕が大神官様にお願いしてみます……!」
【好きにしろ】

 イスメトは今度こそ胸をなで下ろした。

 既に確固たる地位を持つ大神官ならば、布教活動なんて朝飯前だろう。
 そうなればエストもすぐに助け出せる。
 そして僕らの探検は無事に終わるのだ。

 物語は所詮、物語。
 人には分相応な生き方というものがある。
 二人でいつも通りの日常へと戻る――

 結局はそれが、一番のハッピーエンドなはずだ。

【オマエの想像通りに、全てが()()く運ぶといいがな】

 イスメトが神のその言葉の意味を理解したのは、わずか数刻後。
 頼みの大神官に突き飛ばされ、罵声を浴びせられた時だった。


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