「ほぅら、出てきた。こうした方が早いって言ったろう?」

 空からの襲撃者は、残忍とも無邪気とも形容できる笑みを浮かべ、こちらを見下ろしている。
 年の頃はイスメトと大差がない。
 むしろ少し幼いくらいだ。

 この辺りではまず見かけない黄金の髪、青と金のオッドアイ。
 それだけでも印象的だが、両頬にはさらに隼の( はやぶさ )目元を模した黒い入墨が入っている。

 体には白く上等な服を纏い、随所に貴金属が光る。
 貴族、あるいは王族といった風貌だ。
 その手には、両先端に刃を取り付けた巨大な弓が握られている。

 そして極めつけは、背中から生えた極彩色の翼。

「【ッ! いきなり一般市民(パンピー)の頭上に矢を降らせるたァ、随分なご挨拶だなホルス――ッ!!】」

 名を問うまでもなく、セトは怨敵を(にら)み上げた。

「ヤだなぁ、そんなに怒るなよ。君に会いたくて会いたくて、いちいち探し出すのが面倒だっただけさ」

 翼の生えた少年――
 ホルスはわざとらしく肩をすくめた。

「ホルス……国神ホルス!? なんでこんなところに……!?」
「な、なあアイツ……今こっちを攻撃してこなかったか?」

 人々のざわめきは、そのままイスメトの心境をも表していた。

(あれがホルス!? なんで襲ってくるんだ!?)
【言っただろう。因縁があるってよ】
(だからっていきなりすぎる!)

 確かに〈砂漠の民〉は今、セトの復活で旧神ムード一色。
 だが、けして国神をないがしろにしているわけではない。
 ホルスの神殿にも神官にも、敵対の意志を示した覚えはない。

【死にたくないヤツは神殿へ逃れろ! ここは戦場となる!】

 セトは結界を通じて、周囲の人々の精神へと直接号令を飛ばす。
 それでも、祭り気分に浮かされて物珍しげに事態を眺める者が多かったが、人一倍こういった状況に鋭い戦士達が誘導を始め、人の波はようやく動き始めた。

【オベリスクを起動すれば、復活を気取られるだろうとは思っていたが……ここまで早く介入してくるとはな】

 セトは民家の屋根を渡り跳び、ホルスの背後へ回り込む。

 ホルスもその動きを追い、空中で体を反転させた。
 広げているだけの翼は羽ばたくわけでもないのに、その体を浮かび上がらせている。
 翼でというより、神力で飛んでいると見るのが正しいだろう。

(あれは……精神体?)
【違う。依代に憑依(ひょうい)している。今の俺達と同じだ】

 つまり、目の前にいる神は実体を持つ存在。
 神力による物質への関与が容易にできるというわけだ。
 セトの握る〈支配の杖(ウアス)〉がバチバチと赤い稲妻を纏う。

「まあそうイキるなよ。僕は対話をしに来ただけさ」
「【対話だァ? ハッ! そっちから仕掛けといて、どの口がほざきやがる】」
「だから、今のはただの挨拶だって」

 ホルスは悪びれる様子もなく笑う。

「なぁセト。お前、覚えているのかい? 自分が封印された時のこと」
「【あァ、よォく覚えてるぜクソチキン。あの時もこうして、テメェが奇襲を仕掛けてきやがったなァ――!】」
「ふぅん? そうかい」

 瞬間、ホルスの姿が消えた。

「じゃあやっぱり覚えてないか。〈荒神(すさがみ)〉になっていた間のことは」
「【な、に……?】」

 声は背後から。
 ホルスは目にもとまらぬ速さで空中を移動し、セトの裏を取っていた。
 突き出された弓の先端と、振り向きざまの(いっ)(せん)が、ギィインと重い金属音を響かせる。

(荒神……?)

 聞き慣れない単語に、イスメトは疑問符を浮かべる。
 セトとホルスは一瞬の均衡を保った後、どちらからともなく打ち合って再び間合いを取った。

【荒神は――アポピスに呑まれ、(こん)(とん)()ちた神を意味する言葉だ】

 イスメトの中に戦慄が走った。

「そうさセト」

 ホルスはそれまでの軽い雰囲気から一転。
 口の端から笑みを消す。

「……お前は一度、混沌に墜ちたのだよ。だから僕が封印した。願わくば二度と復活せぬようにとな」

 その声色は少年らしさを薄め、低く成熟した男性のそれを思わせる。

「しかし……やはり〈砂漠の民〉は愚か者だ。お前の神殿も神像もことごとく破壊し、ありとあらゆる書物からその名すら消し去ったというのに……お前をこうして復活させてしまった」

 イスメトは違和感を覚えた。
 ホルスの言い分には事実と異なる点がある。
 セトも同じく、それに気付いていた。

「【ほォん? 無い頭で必死に考えた法螺(ホラ)がそれか? 思いックソ矛盾してんなァ鳥頭】」
「……何が言いたい?」
「【テメェの神官どもは、俺の名を知っていたぞ】」

 ホルスの瞳に明らかな動揺が走る。
 その眼前に肉薄するセト。

「【よくもまァ都合の良い神話でっち上げて、俺様を邪神に仕立て上げてくれたもんだなァッ!!】」

 セトの鉄拳は驚くほど鮮やかにホルスの(ほお)に決まった。
 セトはその勢いのまま両手を振り上げ、よろけた相手の背に(つえ)の石突を(たた)()む。
 (ごう)と空気が(うな)り、足場の家屋を真っ二つに倒壊させながらホルスは墜落。セトもその後を追って降下した。

「【正直言って失望したぜ! テメェがこんなやり方で俺との因縁にケリを付けるつもりだったとはなァァァ――ッ!!】」

 セトは着地と同時に足裏を(たた)き込む。
 爆裂する()(れき)(ふん)(じん)
 だが、手応えはない。

「――ッ! お前……何を言っている!?」

 ホルスは既に落下地点から離れ、追撃を逃れている。
 その体は驚くことに無傷だった。
 だが、眉間に(しわ)を寄せてセトを睨む表情からは先ほどまでの余裕が消えている。

「【テメェの(むね)に聞けやゴラァァァッ!!】」

 セトは踏み込む足で瓦礫を巻き上げながら疾走する。
 その姿はまるで、地上で渦を巻く嵐そのものだった。

(なんだろう、さっきから……)

 イスメトは自分の体で暴れるセトとその怨敵を、ある種、傍観者的な視点から観察していた。
 ホルスの目的は本当にセトを倒すことなのだろうか。
 その割に、殺意をあまり感じないのは気のせいか。

(これは……本当に必要な戦いなのか?)

 壊れていく町並み。(おび)える人々。
 そういったものを、もはや歯牙にもかけていないように暴れるセト。

『セトは神殺しの神』
楽園(アアル)を崩壊へと導き』
『世界に混沌を解き放った、破壊神』

 こんな時に、思い出さなくてもいいはずの大神官の言葉がイスメトの脳裏をちらついた。

【――ッ! なにゴチャゴチャ考えてやがるクソガキが!】

 そうこう考える間にも、また一つ砂レンガの家屋が倒壊した。

【思考を乱すな! 俺の闘志に同調しろ! 戦いの――邪魔だッ!!】
(――っ!?)

 突き刺すようなセトの思念が、イスメトの思考を切り裂こうとする。
 それは激しい頭痛に襲われる感覚と似ていた。

 視界に映るホルス。
 その整った顔立ちに、なぜか段々と憎さが溢れてくる。

 イスメトはただセトに提案するつもりだった。
 なんとか戦わずに穏便に済ませる方法はないのかと。
 まずは相手の要件をもっとちゃんと聞くべきではないのかと。

 しかし、洪水のように流れ込んでくる激情の波が、その考えを妨げる。
 己の意志を、感情を、見失わせる。

「――ふぅん? さては君たち、まだ()()く〈共鳴〉できてないね」

 再び空へと舞い上がったホルスは、全身に琥珀色の光を纏う。
 そこへ幾度目かの突撃をしかけるセト。
 戦杖と弓とがぶつかり合い、しなり、両者の力は(きっ)(こう)している――かに思われた。

「そんなんじゃ、僕らには勝てない、よ――ッ!」

 突如、ホルスの翼がひときわ眩く( まばゆ )光を放つ。
 羽ばたきは光の衝撃波となってセトの――(いな)、イスメトの体を貫通した。

「が――ッ!?」

 背中から全身を突き抜けるような痛みで、イスメトは自我を取り戻す。
 視界には屋根を失った建物の内観と、抜けるような空が広がる。
 その鮮やかな青を背に、見目麗(みめうるわ)しい翼を広げる神。

(体は……動く、けど……っ!)

 どういうわけか、セトの支配が解けている。
 すぐに立ち上がろうとしたが、()つん()いになるのが精一杯だった。

 実はこうなる少し前から、イスメトの両足は既に折れていた。
 暴走気味のセトに自我を侵食されていたせいで、今の今まで気付かなかったのだ。

「ほぅら、あっさり分裂しちゃった。復活したと言っても、まだまだ不完全。依代もこれじゃあ……ねぇ?」

 地へ降り立ったホルスは、最初の頃の余裕を取り戻している。
 そのオッドアイが見据える先を追ってイスメトは振り向き、(がく)(ぜん)とした。
 背後では、イスメトの体から()()がされた精神体のセトが()()()()()()いた。

「――っ! セト!!」

 全身を光り輝く銛に貫かれ、民家の壁に縫い付けられたセト。
 その傷口からは流砂のように大量の神力が(こぼ)()ちている。
 うな垂れた頭はぴくりとも動かない。

「さーて。話の通じないブタ野郎も黙ったことだし……」

 ホルスは悠然と近づいてくる。
 距離を取ろうにも、イスメトは骨折の痛みを()(ころ)すので精一杯だった。

 ホルスが腕を持ち上げる。
 同時に、イスメトの周囲を光の輪が取り囲んだ。

「ぐ――ゥゥッ!!」

 ホルスがパチンと指を鳴らすと、その輪は収縮し、イスメトの体を縛り付ける拘束具と化す。
 天空神の神力は、イスメトの体を軽々とその場に浮き上がらせた。


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