翌日。
 イスメトはすべてが始まった場所を訪れていた。

()(れい)になってる……」

 ほとんど砂に埋もれ、ともすればただの砂丘にすら見えるタァリ神殿。
 その外観は変わらずだが、内部は所々に篝火(かがりび)が立てられて、歩きやすくなっていた。

「セ、セト様……!?」

 最深部の部屋には見張りの兵士まで配置されている。
 彼らはイスメトの背後にセトの姿をみとめるや、おずおずと道を開けた。

【俺を邪神呼ばわりしたあの大神官も、神職としてはそこそこ有能らしい。あの棺の封印を解くことが何を意味するのか、理解はしていたようだ】

 最深部の穴には(なわ)(ばし)()が備え付けられている。
 下の隠し部屋にも明かりが(とも)され、以前より見通しがいい。

「エストは……まだ助けられないんだろ? どうしてここに……」
【一度、見せておこうと思ってな】

 階下へ降り立つと埃の(  ほこり  )臭いがした。
 中央にぼんやりと照らし出されるのは、あの時から沈黙を守り続けている石の棺だ。

【少し離れていろ】

 セトが触れると、石棺の蓋は風化したようにサラサラと砂になって崩れだす。
 そして、中で眠る少女の姿を(あら)わにした。
 少女はぱちりと目を開ける。

「! エスト!?」

 しかし、その瞳がイスメトを捉えることはない。

「ヒト……ツニ……」

 虚空へ手を伸ばし、ぎこちない言葉を紡いだ直後。
 少女はがばと跳ね起きて、セトに飛びかかろうとした。

 バチィッと(せん)(こう)が走る。
 今なお石棺を包んでいるセトの神力が、エストの中の混沌に反応した証拠だった。

「ウ……ウゥ……」

 神力により、エストは棺に縛り付けられる。
 空のように美しかった瞳は、黒く(ひず)んで見えた。

「エス、ト……」
【ま、こんな具合だ。魔獣化する一歩手前と言ったところか】
「っ、どうすれば……!」

 セトは〈支配の杖(ウアス)〉で二度ほど床を打つ。
 周囲の砂が棺の上まで()()がり、再び蓋を形成してエストを封じ込めた。

【ここは現世に残された俺の唯一の神殿。現状、俺の力が最も強く作用する場と言える。その上、この棺にかけた神術は、俺に扱える結界術の中でも最高クラスの代物だ】

 閉じられた棺は元の静寂を取り戻している。
 どうやらエストはその神術によって再び眠りについたらしい。

【それでここまで魔獣化が進行したとなると……娘に()いたアポピスの力が、日を追うごとに強まっていると考えるのが自然だ】
「どうして! オベリスクを起動したら、混沌は弱まるんだろ……!?」
【俺にも謎だった。が、ホルスの野郎の話を鑑み(  かんが  )ると、一つの仮説が浮かび上がる】

 セトは棺の蓋の上であぐらを掻き、忌々しげに吐き捨てる。

【娘に憑いたアポピス。コイツは恐らく、混沌化した俺の半身だ】
「なっ……!?」
【思い出してみろ。俺がコイツを封印した時のこと】

 イスメトの中に過去の記憶が鮮明なイメージとなって蘇る( よみがえ )
 セトが記憶を見せているのだ。

【オベリスクを攻略した後なら分かるだろう。コイツは(かく)(みの)となる肉体すら持たぬ状態で、この俺の神術に耐えて逃げおおせやがった。今思えば、その時点で気付くべきだったのかもな】

 セトは荒々しく〈支配の杖(ウアス)〉の石突きを棺に打ち付ける。

【コイツが俺自身なら、俺の力で(はら)えねェのは当然だ】
「じゃあこいつは、昔セトに()()いていた混沌……そういうことか?」

【甚だ(  はなは  )(むな)(くそ)悪ィ話だが、そう考えると綺麗に説明が付いちまう】

 できることならセトには否定して欲しかった。

「で、でも! ホルスはお前を嫌ってるんだろ? なら、あの話は全部(うそ)かも……!」
【そんな嘘を吐いてヤツが得するかねェ? 士気を()ぐ目的があったにしては撤退を決めるのが早すぎだ。そもそもマトモに戦ってねェし】

 イスメトは熱くなる頭を掻く。
 考えれば考えるほど、状況は切迫して見える。

「こいつがセトの半身って……どうやってやっつければいいんだ? エストは!? 助けられないのか!?」
【まァ落ち着け】

 思わず棺に手をついて詰め寄ると、ドスッと頭に鈍い痛みが走った。
 セトの踵だ( かかと )った。

【娘を救う手立てはある。俺がコイツを取り込んで、己が内に封じ込めりゃいい。自分で自分を祓うことができない以上、これが最も現実的だ】
「え? そ、そんなことしたらセトが混沌に呑まれちゃうんじゃ――ッ!?」

 今度は強烈な痛みが走った。
支配の杖(ウアス)〉の先端に付いた動物頭の鼻先が、イスメトの頭頂を幾度となく襲撃する。

【テメェ……俺が混沌なんぞに負けると思ってやがんのか! ア? ア!?】
「だ、だってホルスが……いでっ! いた、ちょ、セト、セト様……っ!?」
【だァから! これから信仰をもっと拡大すんだよ! 要はコイツよりも圧倒的に俺が強くなりゃいいだけなんだからなァァッ!!】

 久々にセト様お怒りのツボを押してしまったらしい。
 戦杖の猛攻はしばらく続いた。

「~~っ、……そ、そうか。信仰を広めて、神力を高めれば……」

 ぐわんぐわんと揺れる頭を押さえながら、イスメトは膝をつく。
 その横で、棺から飛び下りたセトが軽やかに着地した。

【幸い、コイツが俺の封印を破る気配はない。力を強めていると言ってもその程度だ。これからオアシスを巡り、俺の古い神殿を再興していけば何とかなるだろう】

 セトはイスメトの首根っこを(つか)み、強引に立ち上がらせる。

【つゥわけで。旅支度だ】

 セトに()かされるようにしてイスメトはその場を後にした。
 (はし)()を上る途中、一度だけ振り返る。

(エスト……ごめん。もうちょっとだから)

 少女の明るい笑顔が、まるで遠い日々の残像のように脳裏に浮かんだ。


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