「お前と〈共鳴〉できなかった僕は、依代としての才能が足りてない……そうなんだろ?」

 しばしの沈黙が降りた。
 それは(かじ)ったパンを丁寧に咀嚼(そしゃく)して()()み終わるくらいの間でしかなかったが、イスメトには数倍の長さにも感じられる。
 やがてセトは、深々と長い息を吐いた。

【……ウジ虫の思考はマジで読めねェな】

 セトにしては珍しく疲労を感じさせる声色だった。

【オイ、耳の穴かっぽじってよォく聞けやクソ便所虫。俺が言ってもいねェことでウダウダ悩むな、落ち込むな、気を回すな! クッッッソめんどくせェ!!】
「な、なんだよ……! じゃあどういう意味だよ!?」

 ウジ虫から便所虫に降格(?)されたイスメトは、セトをキッと(にら)み上げる。

「僕に才能がなくて鍛えようがないから……だからお前は『忘れろ』って言ったんじゃないのか!?」
【ンな無駄な気遣いを、なぜ俺が依代(テメェ)相手にしてやらにゃならん?】

 セトは顔を手で覆いながら、気だるげに夜空を仰いだ。

【共鳴は理屈じゃねェ。知識も鍛錬もいらん。できる時にはできる。そういうモンだ】
「な、なんだよそれ……!」
【そのまんまの意味だ、ボケカス!】

 セトは以上で説明は終わったと言わんばかりに背を向ける。
 だが、それでイスメトが納得できるはずもない。

「そ、そんなんじゃますます分からないよ! 理解できない! もっとちゃんと説明してくれ!何が足りないのか、何が必要なのか!」
【~~っ、だァから! 条件が(そろ)えば可能になるんだよ!】
「だからどんな条件だよ!!」

 イスメトは半ば意地になっていた。
 できないことの理由はきちんと知りたいし、知った上で対策を練りたい。
 生来、そういう(たち)だ。

【それは――】

 セトは渋い顔で()(よど)んだ。
 イスメトの中の焦りはますます肥大化する。
 しかし、セトの歯切れが悪い理由は、イスメトの嫌な想像とは大きくかけ離れていた。

【――(きずな)、だ】
「え……?」
【それ以外にうまく表現できん】

 イスメトは水面に顔を出した魚のごとく、口をパクパクさせる。

「絆って……ぼ、僕と……お前の?」
【他に何がある】

 想定外の答えに、自然とセトから視線を外す。
 爆発寸前だった感情が、腹の中で急速に(しぼ)んでいくのが分かった。

「そ、それは……ど、どうやって強くするんだ?」
【……】

 ――あれ? ひょっとして僕、今すごく変なこと聞いた?
 これまでの共同生活の中で間違いなく、最も気まずくて居心地の悪い静寂が訪れた。

「ぷぶっ、ぶぶっ」

 不意に、イスメトのふくらはぎを柔らかく湿った感触が撫でる。
 見ると通常サイズに戻ったカルフが、訝し( いぶか )げに鼻を鳴らしていた。

「あ、ご、ごめんなカルフ……! 起こしちゃったな」
「ぷぶ」

 カルフは(かが)()んだイスメトの額にぺちっとその長い鼻を押し付ける。
 その仕草はまるで、子供の悪戯(いたずら)をたしなめる母親のようだった。

【――別に仲間割れじゃねェよ】

 なぜかセトが弁明のように呟く( つぶや )
 カルフはそんな神に対しても疑惑の視線を投げかけ、何度も鼻を鳴らしていた。

 なんだか色々と毒気を抜かれてしまった。
 カルフに促されるようにして、イスメトは焚き火のそばまで戻る。
 揺れる炎の中に見えるのは、ホルスとの戦いの記憶だった。

 あの時、自分はホルス以上に、セトに()()されていた。
 体の内から伝わってくる業火のごとき感情のうねり。
 その中に、まだ知らないセトの、暗くて、鋭利で、冷たい、凶器のような顔を見た気がしたのだ。
 そして気付いたら、セトが体から切り離されていた。

「……一つ、聞いてもいいか?」

 セトはまだ砂の上に立っている。
 背を向けたまま、首だけでこちらを振り返るのが見えた。

「お前はどうして……何のために、ホルスと戦ってきたんだ? 神殺しとか、楽園を壊したとか……そういう話も、何か関係があるのか?」

 先の戦いはホルスが仕掛けたもの。
 セトはそれを迎撃しただけだ。
 セトが好戦的だったのも、信仰を奪われた恨みと考えれば理解できる。

 しかしそれでも、それ以外の何かがきっとある。
 そう思わせる熱が、激情が、あの時のセトからは感じられたように思ったのだ。

【――そんなこと聞いてどうする。俺を理解した気になりてェのか?】

 イスメトの憶測はあながち間違いでもなさそうだった。
 その証拠に、ずかずかと歩み寄ってくるセトからは、随分と意地の悪い質問が繰り出される。
 返す言葉に迷う。が、セトには無用な気遣いだろう。

「……相棒のことを知りたいって思うのは、そんなに悪いことかな」
【アイボウ? ハッ。()いて半年と待たずに、恥ずかしげもなく俺をそう呼んだバカは、お前で二人目だな】

 セトの声色は嫌悪感を漂わせているようでいて、その実、穏やかだった。
 セトは焚き火を挟んだ向かいにどかっと腰を下ろす。

【――最初のうちは、どちらが強いのかという純粋な興味があったように思う。だが神として大きくなるほどに、互いに背負うものが増えていった】

 神は静かに、遠い過去の断片を語った。
 細められた赤い(そう)(ぼう)は夜の闇を見つめている。

【俺達の勝敗は、そのまま国の命運を左右するようになり……いつしか、やったやられたの報復合戦に変わっていった。そこには当然、ニンゲンどもの思惑も存分に絡んだ】

 神は必ずしも自分の意志で戦っているわけではない。
 それは依代の存在や、人々の願いから神や神力が生じるという性質上、当然のことなのだろう。

【それでも明確に、簡潔に、俺自身の答えを言うとすれば――】

 イスメトが焚き火から顔を上げると、赤い瞳と目が合った。

【俺は、俺を神たらしめた〈砂漠の民〉どもの積年の願いに報い続ける。そのためならば、(こん)(とん)とも、ホルスとも、必要であれば秩序とさえも戦う――それだけだ】

 セトの声にも眼光にも、一切の揺るぎや迷いは感じられなかった。
 それはきっと、彼にとっては名を名乗るくらいに当然に出る答えなのだ。

「なんか……初めてお前のこと、尊敬したかも」
【ハッ!】

 偶然か、それとも神の悪戯か。()()が夜風で弱まる。
 イスメトは適当な棒で火加減を調節した。
 顔を上げるとセトの姿はもうない。が、構わず会話を続ける。

「……じゃあセトは、僕らが『世界を滅ぼしてくれ』って願ったら、そうする?」
【そういうのはオベリスクの前で言ってくれ】

 イスメトは火かき棒を取り落とす。
 セトはくつくつと笑った。

【冗談だ】


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