そうして始まったジタとセトの手合わせ。
 と言っても、当然まともな打ち合いにはならなかった。
 セトに一方的に打ちのめされるジタを見かけて、自然と見物人が集まりだす。

「な、何ィ!? 訓練場に行けば守護神様と戦える!?」

 瞬く間にそんな話が広がった。
 訓練用の空き地には血気盛んな男達が次々と足を運び、せわしなく対戦者が変わる勝ち抜き試合が続く。セトはイスメトの神器を、挑戦者はジタの持つ旧・神器を使うことで、夢の対戦を実現しているようだった。

「ねーねーイスメト兄ちゃん」

 イスメトは近くの草場に腰掛け、皆の戦いを見守る。
 その横でサシェがつんつんと指で小突いてきた。

「兄貴と仲直りした?」

 ぎくりとした。

「ま、まあ……そう、だね。一応した……かな?」

 勝負は預けてもらっている状況だが、(うそ)は言っていない――と思う。
 サシェは目を輝かせる。

「そんじゃさ、またここに住む?」

 今度の問いにも即答しかねた。

「うーん、それはまだ。色々とやることがあるから……」
「やること? それ、いつ終わるんだよ?」

 イスメトは訓練場で暴れ回る赤い髪を、ぼんやりと目で追う。

「……神のみぞ知る、かな」
「あっ、ごまかした!」
「本当だよ」

 正直なところ、すべての問題が片付いても村には戻りたくなかった。

 ここにいる全員がイスメトの情けない過去を知っている。
 (やつ)はホルスとの戦いで神の足を引っ張った――
 そんな陰口を叩く人間が存在することも小耳に挟んでいた。

 英雄の七光りだと(あざ)(わら)われ、(あわ)れまれ、自己嫌悪に浸る日々。
 それが嫌で飛び出したのがこの場所だ。
 セトのお陰で多少は変わったかもしれないが、ジタへのいたたまれなさは消えないし、常に誰かに後ろ指を指されている気がする。

 あいつはただ運が良かっただけだ――
 そう言われたとしても、僕は何一つ反論できない。

【オラ、あとはテメェだけだ】
「えっ? 僕?」

 顔を上げると、いつの間にかセトが神器で肩を(たた)きながら眼前に立っていた。
 その後ろでは何十人とも知れぬ男達が、どこかしらを押さえて痛がりながらも笑い合い、戦いの感想を共有し合っている。
 もはや試合は、守護神様に『活』を入れてもらうお祭りと化していた。

【村の連中に依代の実力を知らしめる良い機会だ。今日の鍛錬はここでやる】

 セトとの鍛錬は今や日課。今日も続けることに異論はない。
 だが、あえて衆目にさらす意味があるだろうか。

「……嫌だよ、そんなの」

 自分だってセトには連敗中だ。
 そんな状態で何を『知らしめる』と言うのか。

【ほォん……?】

 セトは何かを考えるようにニヤリと笑ったかと思うと、くるりと身を反転させる。
 案外あっさり引き下がってくれた。
 そうイスメトが(あん)()したのも(つか)()――

【去年の神前試合。ありゃクッソ退屈だったなァ】

 セトは事もなげに言い放った。

【特に決勝戦。ありゃなんだ? 不戦勝で優勝者が決まっちまったら、大会の意義すら消滅するだろ。ありゃ俺への、ひいては歴代参加者すべてに対する侮辱だ】
「おまっ、急に何を――!?」
「……兄ちゃん? どうしたの?」

 思わず腰を上げたイスメトの横で、サシェが首をかしげる。
 今のセトの発言は、イスメトの中にしか届いていないようだった。

【確かにオマエはオベリスクを攻略したさ。だが……それでオマエ自身の何が変わった?】

 イスメトの握りしめた拳が小刻みに震える。
 ――何も、変わっていない。
 そんなことは、セトに言われずとも自分が一番に痛感していることだ。

【オマエは一人前の戦士として、確かに父を超えたはず――だが、オマエ自身がそう振る舞わなければ、結局は何も変わらねェ】

 セトはイスメトに神器を乱暴に放って返す。
 肩越しにこちらを振り返るその目には、鋭く冷たい光が宿っていた。

【ここで俺の挑戦を受けれねェようじゃあ……テメェは一生、()()()()()の七光りだよ】
「……っ!!」

 セトは広場へ戻っていく。
 遠ざかっていくその背をキッと睨み、少年は立ち上がった。

「おっ、ついに依代サマのご登場か?」

 現役の戦士達が軒並み退場した後、話題の英雄が広場に出てくるのを見て、観衆はもちろん戦士達も大いに沸き立った。
 しかし中には顔をしかめる者や、薄ら笑いを浮かべる者もいる。

「え、嘘。あいつもやんの?」
「クスクス……どうせ恥をかくだけよ」

 だが今は、そんなことどうでもよかった。

(……撤回しろ、セト)
【何の話だ?】
(父さんへの侮辱を……撤回しろ!)

 セトはとぼけるように口の端をつり上げる。

【侮辱ゥ? ハッ! 俺は今のテメェを見て、客観的な評価を下しただけだが? 子が子なら、親の程度も知れるってモンだ】

 セトは再び、イスメトの心にだけ冷徹な声を響かせる。

【言わなかったか? 俺はなァ、他人の顔色を伺ってビクビク生きる奴が一番嫌いなんだ】

 セトの思念はトゲのように(たか)ぶり、イスメトの肌を(しび)れさせる。まるで殺気だった。

【そんなんで、俺のアイボウを名乗れるとでも思ってんのか? アァ?】

 そうか、セトは試しているんだ。僕にどれだけの覚悟があるのかを。
 形だけの言葉遊びではなく。
 相応の覚悟を持って、神を『相棒』と呼んだのかを。

【テメェを戦闘不能にすれば俺の勝ち。俺に一撃でも加えればオマエの勝ち】

 セトは依代との密談をやめ、いつもの勝利条件を観客に向けて宣言する。
 その手に、自身の本来の得物である〈支配の杖(ウアス)〉を召喚しながら。

【――たまには、コイツでやるか?】

 観衆がざわめく。その声には二種類あった。
 一つは、神の(いき)なパフォーマンスに湧く見物人の喚声。
 そしてもう一つは、戦いの次元が変わったことを肌身に感じて奮い立つ、戦士達の()(たけ)びだった。

「望むところ――だっ!」

 もっともイスメトは、そんな群衆に気を向けてすらいない。
 正確には、すぐに向ける余裕がなくなった。


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