■ ■ ■

 その頃、戦士達は砂漠での終わりなき戦闘に身を投じていた。
 魔獣に取り囲まれ、もはや絶対絶命である。

「く……っ、おい、膝をつくなよ。立ったまま休まねぇと狙われるぞ」

 アッサイは背後で荒い息を立てるジタに呼びかける。

「ッ、わぁって、ら……ッ!」

 彼らをここまで導いた神獣は、とうに奇跡の力を使い果たして元の小動物に戻っている。
 侵攻手段も逃走手段も、もはや存在しない。
 散り散りになった仲間達も似たような状況だろう。あるいは、もうとっくに――

「ふっ……いよいよ潮時か」

 もとより、ここから生きて帰れるなどとは思っていない。それでもいざその時が近付くと、アッサイは愛する妻子の顔を思い出さずにはいられなかった。

「縁起でもねーコト言ってんなよ、戦士長!」

 ジタは支えにしていた(やり)を砂から引き抜き、構えを取る。
 体は互いにボロボロ。だが少年の目にはまだ若々しくも力強い意志の炎が燃えさかっている。

「まだオベリスクは光ってる! 守護神サマは生きてる!」

 西の岩壁に遠くそびえるオベリスク。
 その頂上を彩る輝きは、砂嵐の中であってもなお戦士に希望を(とも)し続ける。

「それに――たとえ死が立ち塞がろうと、抗う(  あらが  )べき運命には最後の最後まで抗う――それが〈砂漠の民〉の信条だって、アンタが教えたんだろ!!」

 師は笑う。村で一二を争う不良少年だった子供が、いつの間にかいっちょ前に男の顔をするようになったものだと。

「はっ……まさか、お前に諭される日が来ようとは」

 互いの背を守り合う二人は、同時に地を蹴った。
 闇の獣もまた牙を()いて飛びかかってくる。

「今日は最高の日だ――ッ!」

 恐らくは、これが最後の抵抗になるだろう。何度()(はら)おうと、敵はいっこうに減る気配がない。倒しても倒しても、前方に見える巨大な砂嵐から次々と現れてはその牙を剥く。

「ぐ――ッ!」「オッサン!?」

 ジタは三体目の魔獣の胴体を()(さば)いたところで、砂に倒れ込む師の姿を視界の端に捉える。

 アッサイの包帯に滲む赤色。背中の傷はとうに開ききっている。
 この数の敵を相手に勝ち目などない。
 それはジタとて重々承知していた現実。

「くっ、そおォォォォ――ッッ!!」

 それでも、ジタは師の前に躍り出る。
 彼を喰らおうとハイエナのごとく群がる魔獣どもに、()()(しゃ)()に槍を叩き付ける。

 その視界が、不意にぐらりと揺れた。
 先日の傷が開いているのはジタも同じだ。
 もはや気力も体力も、そして血も尽きかけている。限界だ。

 砂に足を滑らせ、大きく体勢を崩す。
 そこへ飛びかかる、魔獣の鋭い牙。

 ――ああ、終わった。

 少年が自分の中に沸き上がる諦めの感情に気付きかけた、その時。
 迸る( ほとばし )赤光が、辺り一面を包み込んだ。

「なん……だ? 光って――」

 ほとんど輝きを失っていたはずの粗末な槍の刃先が、急に眩い( まばゆ )光を放つ。
 群がっていた魔獣はその光を恐れるように距離を取った。
 ジタは感覚的な何かを感じ、(とっ)()に顔を上げる。

 砂漠から、赤く燃え上がる光の柱が天に向かって立ち上がっていた。
 それは前方で渦巻く砂嵐を真っ二つに両断している。
 その内に鎮座する巨大な神の影も、もろともに。

「イス……メト……?」

 (ごう)(おん)に遅れて流れ込む風が、うごめく闇をことごとく吹き飛ばしていく。

「バカやろ……遅ぇん、だよ……」

 力無く笑いながら、少年は意識を手放した。

 オベリスクの光が、闇に沈みかけた世界を赤く力強く照らし出す。
 生き残った戦士も、町に(とど)まり祈り続ける民も、誰もが天を仰いだ。

 砂漠の至る所で神獣達が立ち上がり、いななく。
 神の再臨を(たた)えるように。

 光の柱から飛び出す影。
 それは赤い長髪を(しん)()(ろう)のように揺らめかせる()()だった。

 その頭部には仮面のように神の化身が(おお)(かぶ)さっている。末広がりの長い耳を持つ黒い異形の顔は、巨大な切れ長の瞳を赤く鋭くギラつかせる。

 少年の露出した肩には現世と神世(かみよ)(つな)ぐ生命の証で(  あかし  )ある()(えん)十字が浮かび上がり、手足は獣のそれのように黒く雄々しく発達する。背後で風に揺れるのは、先端に房を持つ細長い尾だ。

 それは人であって、人あらざる者だった。

【ったくテメェは! なんつう場所にいやがんだよ!】

 荒神の体内からなんとか飛び出したイスメトは、頭に響く神の声にどやされる。
 吹き荒れる風に乗り、気流の上を滑るように空中を移動しながら。
 不思議と、どうすればいいのかが感覚で分かった。

【寝ても覚めても(こん)(とん)まみれじゃねェか!〈共鳴〉できなかったら即おっ()んでたぞ!】
「し、仕方ないだろ! ホルスが急に――(いつ)ゥッ!」

 不意に、左肩に激痛が走る。
 そういえばどさくさに紛れて、ホルスに何かをぶっ刺されたような記憶がある。

 イスメトが肩から()(はく)(いろ)(もり)を引き抜くと、セトは【ほォん?】と意味ありげに笑った。

【オマエ、イイもん持ってんじゃねェか――ッ!】

 肩の傷は神力によって瞬く間に修復されていく。
 凄い力だ。内側からとめどなく(あふ)れてくる。
 そして感じる。オアシス中の人々の願いと、祈り。

【良いねェ……力が満ちてくる!】

 オベリスクに集められた神力が、神の復活と同時にその魂へと注ぎ込まれる。それは神の刻印という形で、イスメトの両腕に無数の紋様を浮かび上がらせていく。

【ぶっ放してやろうぜ、〈砂漠の民〉の怒りってヤツをなァァァァ――ッ!!】

 眼下には、早くも頭部を再生させた闇がうごめいていた。

 神格を失ったそいつはもはやただの混沌。
 その形からはセトの特徴が失われ、耳も手足もない。
 いつもの大蛇のような姿に変わっている。

 だが闇の力が失われたわけではない。
 意志が欠けた神の半身は、今度は巨大な『魔獣』として世界を蹂躙し( じゅうりん )始めていた。

 大義はなく、願いもなく。
 ただ本能のままに暴れる、破壊の権化。

「――《塵嵐の雷轟(シエラ・アストラフィ)》!」

 イスメトは赤雷(せきらい)(まと)い、風を渡る。
 その体そのものが嵐となり、アポピスの周囲を跳び回って砂漠の砂を巻き上げていく。その風に触れただけで、混沌セトにより生み出された魔獣達は浄化されて(ちり)へと帰る。

 もはや何人(なんぴと)も、この嵐は止められない。

「――()赤砂漠(デシェレト)。生きとし生けるすべてを()()()(じん)に帰する、荒涼の大地――」

 神の怒りは、少年の怒りとなり。
 少年の意志は、神の意志となり。
 神の権能は、少年の権能となる。

 ――我は嵐。
 ――我は砂塵。
 ――我は暴風。
 ――我は恐怖。

 一つ、称呼するたびに、閃く(  ひらめ  )戦杖が混沌の体を斬り飛ばす。

 ――我は(しゃく)(ねつ)
 ――我は不屈。
 ――我は不滅。
 ――我は鋼鉄。

 切り刻まれる神の成れ果てはやがて、十四の切れ端と化す。

 ――我は暴力。
 ――我は侵略。
 ――我は乾き。
 ――我は凶器。

「【()らえええェェェェェェ――ッ!!】」

 ――我は、破壊。

「【《神殺しの十四閃(ハオス・テトラデカ)》アアァァァァァァ――ッ!!】」

 一人と一柱は、同時に叫んだ。

 それは、かつて神を(ほふ)りし神話の刃。
 秩序に背きし神のみが持ちうる、唯一無二の絶対奥義。
 たとえ自身の(ゆが)んだ半身であれ、ソレが神である限り、この神術は絶対的な威力を発揮する。

 少年の(とう)(てき)した銛は、赤き光の柱となって大地を穿(うが)つ。
 それを合図に立ち上がるのは、砂漠。
 赤き大地は濁流となって、十四に穿(うが)たれた闇をことごとく呑み込んでいく。

 反撃も、再生も許されず。
 バラバラになった荒神(すさがみ)の肉体は、まるで巨大な流砂に囚われた小動物の群れのように、赤き砂の大地へと為す術もなく沈んでいった。

 断末魔の叫びに代わり、巻き上がるのは(ふん)(じん)
 その中を、赤き稲妻と化した少年が駆ける。
 風の内に封じた闇を(しつ)(よう)に追い回し、ことごとく焼き尽くすために。

【あァ、イイなァ……】

 その砂嵐の中で、イスメトの意識に誰かが干渉した。
 砂と闇とに覆われた視界が、冷たい光に覆われる。
 目の前に広がったのは、見知らぬモノクロの世界だった。

 見世物小屋の隅。耳の裏から(まが)(まが)しい巻き角を生やした幼い子供が、血と泥と汚物にまみれた顔をこちらに向けている。

【キミは神さまニ、選ばれたンだ……】

 その少年の目は、悲しいくらいに澄んでいた。

【祈ってれバ、ぼくのところニも……神さまは来てくれるノ、カな……】

 イスメトは咄嗟に、彼に手を伸ばそうとした。

【行くぞ】

 そして、別の声に呼び止められた。

【そっちはオマエの帰る場所じゃねェ】

 その声に振り返った瞬間。
 世界は元の色合いを取り戻した。

 まるで白昼夢。

 真っ赤な夕日に照らし出された砂漠は、これまでのことが(うそ)だったかのように静かで、穏やかで、もの悲しくも――美しかった。


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