物語には力がある。子供達に夢を見せる力が。

『――そうして飛び散った神の血から、ラフラとハガルのオアシスが生まれました』

 それは村に古くから伝わる(ぼう)(けん)(たん)
 村の若者が、守り神の力を借りて数多(あまた)の魔獣を打ち倒し、この砂漠地帯に大きな国を作り上げる物語。

 ある夏の日の(たそ)(がれ)(どき)
 砂漠の夕日を展望できる丘の上に、そんな物語に憧れる三人の子供達がいた。

『ボクはねボクはね! いっぱい勉強して書記になる! 世界中を旅して、色んな神様や英雄のお話を集めて、書物にするんだ!』

 そう笑っていた少女は先日、超難関とされる文官の試験を突破。
 夢への一歩を踏み出した。

『おいイスメト。俺はゼッテーお前より強くなる。んで、武術大会で一位になるから』

 鼻の上の古傷を()きながら宣戦布告してきた少年も、昨年の武術大会で優勝。
 村で一番の戦士を表す〈神の戦士(ペセジェト)〉の称号を手に入れた。

『僕だって負けないよ! だって僕の夢は――』

 夢は努力の糧になる。
 努力は夢を実現させるための力。
 正しい努力はいつか報われて、夢は現実に――

 なんて青臭い理屈を信じられるほど、僕はもう子供じゃなかった。

 村で一番の戦士の息子。
 それが三人目の少年、イスメトの肩書きだった。

『イルニスさんは立派な戦士だった』
親父(おやじ)さんは俺たちの誇りだよ』

 その父も、母も、早くに他界したが、村の戦士達は事あるごとに英雄を()(たた)え、孤独な少年を励ました。

 ゆえに少年は信じた。
 自分もいつか父のような立派な戦士に――英雄になるのだと。

 しかし、初めて魔獣と対面した日。
 イスメトは戦いから逃げだした。

 それから四年。
 十六歳になったイスメトの職業は、何の変哲もない小作人だった。

■ ■ ■

 ここは砂漠と大河の国ナイルシア。その西の端。
 砂漠の中に複数の湖が連なる、オアシス地帯の一角である。

「昨日は三人、食い殺されたらしい」
「またか? ええい、戦士共は何してやがる!」
「大半が遺跡の調査だよ。ほら、例の神器の捜索で……」

 畑を耕すイスメトの耳に、今日も不穏な噂話が( うわさばなし )入ってきた。
 オアシス全域がこのところざわついている。
 理由の一つは、オアシス間を結ぶ街道で魔獣の被害が増えたこと。

 そしてもう一つは――

『旧神様の(じん)()を探し出すのだ。見つけた者はオアシス最初の神兵(しんぺい)となり、伝承の英雄のごとく、この国に力と安定をもたらすだろう』

 オアシス全土の神事をまとめる大神官の、この宣言である。

 魔獣の急増。
 本来ならばこういう時、王都から応援の神兵団が派遣される。
 神兵とは、神の術を操る強力な兵士のことだ。

 それが待てど暮らせどやって来ず、オアシスにおける魔獣の被害はここ数年で数倍に膨れ上がった。

 そこで、この地域に住まう〈砂漠の民〉の間に起きたのが一大発掘ブームである。
 かつてこの地を創ったとされる旧神の神器。
 それを見つけ出し、神の力を借りて魔獣を掃討しようというのだ。

 自分こそ神器に()(さわ)しいと意気込む戦士達が、我先にと発掘に乗り出していた。

(旧神様の神器、ね……)

 イスメトもそんな戦士の一族の一人。
 だが、その心が沸き立ったのはほんの一瞬だけだった。

(仮に見つけられたとしても、どうせ僕には使いこなせやしないしな……)

 無知で恥を知らない子供時代であればともかく。
 自分は凡人であるという現実を幼馴染(おさななじ)み達にこれでもかと(たた)きつけられた今となっては、意気込みも何も生まれようがない。

(そもそも遺跡を掘り起こしたところで、旧神様がよみがえる保証もないのに……)

 自分にできるのは、クワを振り上げて振り下ろすことだけだ。
 この時はまだ、頑な(  かたく  )にそう信じていた。

「イっスメト~! これ見てこれ! 見て見て見て見てっ!!」
「ぉうわっ!?」

 突然背中に衝撃が走り、イスメトは畑に自分の型を掘る。
 土まみれの顔を上げて振り向くと、突き飛ばしの現行犯が満面の笑みを浮かべていた。

 (せい)(へき)のボサボサな長髪を風になびかせる、一見すると少年にも見える幼馴染みの少女である。

「エ、エスト……一体、何の騒ぎ――」
「ボク、大発見しちゃったんだ! ほらこれ!」

 広げられたパピルスには、とある遺跡の詳細な図解が描かれていた。

「また懐かしいものを……」

 これは昔、彼女が手ずから描いたもの。
 砂漠に半ば埋没した旧時代の地下神殿――その内部構造が記してある。
 子供の頃によく幼馴染み三人で探検した場所だ。

「ここ見て! 不自然な空洞があるんだよ! どうして今まで気付かなかったんだろ!」
「空洞……?」
「そう! 柱の装飾や建築様式からして、この遺跡はハレズ遺跡と同時期の建造物なんだけどね? だとしたら、ここに空洞があるのはヘンなんだ。つまり、ここには隠し部屋か何かがあるってわけなのだよ!」

 エストは空色の瞳をキラキラさせて(まく)()てるが、イスメトが(ほう)けた顔をしていると唇を(とが)らせた。

「んもう、鈍いなぁ! ここに神器が隠されてるかもしれないってコト!」
「え!? エスト、神器の(あり)()が分かったの……!?」

 少女は太い眉をつり上げ、ふふんと自慢げに無い胸を張った。

「そうさ! まだ暫定だけど……皆がこれだけ探しても見つからないんだ、ここがイッチバン怪しい!」
「そっか……やっぱりエストはすごいな」

 何かを成し遂げる人は目の付け所からして違う。
 イスメトがただ感心していると、今度はバシンッと背中を(たた)かれた。

「なにボーッとしてるの!? 今すぐ探検に行くよ、隊長!」
「た、隊長って……」

 これまた懐かしい呼び名である。
 飽きもせず遺跡に出入りしては、空想の大冒険を繰り広げていた頃の。

「き、危険だよ。あの頃とは違って、今は魔獣が出るかも……」
「だいじょーぶ! 魔獣はこれで追い払うから!」

 エストは首にさげた護符(アンク)をビシッと見せつけてくる。

 護符には隼の( はやぶさ )紋章が彫り込まれていた。
 (こく)(しん)ホルスの紋章だ。
 ()()けの力を持ち、修行を重ねた神官ならば、神兵のように神術が使えるようになるとまで言われている。

「そんな高価なもの、よく持ち出せたね」
「お父様にはナイショ!」

 こう見えて彼女は、大神官の娘である。

「これはチャンスだよイスメト! 夢を(かな)えるチャンス!」
「あ、はは……そんな大げさな……」
「大げさなんかじゃないよ! 神器だよ神器! 旧神様の力を借りて魔獣を倒す――あのお話と同じだ! ボクたち、英雄になれるかもしれないよ!」
「そ、そんなの……」

 子供じゃあるまいし――
 ポロリと出かけた本音をなんとか飲み込む。

「……そんなの、僕には無理だよ。この歳で魔獣一匹倒せないんだから」
「だからこその神器だよ! お話の中の『少年』だって最初はそうだったじゃない。いつも皆に(いじ)められててさ。でも、神様に出会って変わる!」

 ああ、また始まった。
 イスメトは耳を塞ぎたい衝動にかられる。

 エストは続ける。
 懐かしい物語のあらすじを。
 そこに込められた教訓を。

 キミにだってチャンスがある。諦めるのはまだ早い。
 夢を追うのに年齢も才能も関係ない。
 心さえ枯れなければ、夢はいつか――

「……っ」

 もう、そういうのはウンザリだった。

「それは……エストだから、言えるんじゃないの?」

 エストは困ったように眉を寄せた。

「エストは宣言通りに夢を(かな)えて……ジタだって。だから、そんなふうに言えるんだろ?」

 彼女に悪気がないことくらいイスメトにも分かっている。
 しかし、だからこそ余計にイラつくのだ。

「頑張っても届かなかったんだ。どころか、たった一度の挫折で……たったそれだけで僕は」

 自分の器の小ささが身に染みて、つらいのだ。

「今さら頑張ったって、どうせ無理だ。また自分に……失望するだけ、だよ」

 こんな弱音をエストに向かって吐いたのは初めてだった。
 だからだろうか。
 エストは怒るでも(あき)れるでもなく「そっか」と気まずげに目を伏せる。

「……うん、ごめんね。これってきっと、ザンコクだね」

 エストはイスメトが夢を諦めるきっかけとなった出来事を知っている。
 当事者と言ってもいいかもしれない。
 勘の良い彼女のことだ。少なからず、責任を感じているのだろう。

「でもボク、やっぱりイスメトには、まだ諦めて欲しくないんだ」

 イスメト()()。その言い回しが妙に気になった。

「……ボクね、書記にはならないよ。旅にも行かない」
「えっ!?」

 予想外の宣言にイスメトは動揺する。
 ここまで順風満帆に進んできたエストが、夢を諦める道理などないはずなのに。

「で、でも、試験には合格したって」
「うん、したよ。それもトップの成績! 史上(まれ)に見る、最年少合格!」
「だったらなんで……!」

 エストはなんとも言えない表情を浮かべた。

「……反対されたんだ、お父様に。大神官の娘は神官か神子(みこ)になるのが正しいって」

 イスメトはエストの父親に数回しか会ったことがない。
 それも大きな祭事の時くらいだ。
 仕事人間でちょっと怖そう――そんな印象の人物だった。

「分かってたんだ、最初から。神子になるための修行もずっとさせられてたし……でも、どうしても諦めきれなくて。試験でものすごい結果を出せば、お父様も認めてくれるんじゃないかって……だからたくさん頑張った」

 知らなかった。
 エストを外で見かけない時はてっきり、神殿の図書館で勉強ばかりしているものだと思っていた。

「でもね、やっぱり……ダメだった!」

 エストは笑った。いつもの調子で。
 何も気にしてませんよとでも言うように。
 しかしイスメトには、それが精一杯の作り笑いだと分かってしまった。

「そんな……そんな、の」

 残酷だ。

「だからね、勝手かも知れないけど……イスメトにはまだ、諦めてほしくなかったんだよ。こんなチャンス、二度と無いかもしれないし」

 エストも同じだった。
 いや、むしろエストの方が苦しい状況なのかもしれない。

 努力も苦しみも、人と比べることなどできはしない。
 けれど少なくとも僕は――
 エストよりも頑張っていたなんて、口が裂けても言えない。

「ご、ごめんね! ボク、イスメトの気持ち、ぜんぜん考えて――」
「行こう」

 気付けばイスメトはそう口走っていた。

「遺跡探検……一緒に、行こう」

 少女の顔に、本物の笑顔の花が咲いた。

■ ■ ■

「うわっ! とと……ほ、本当にあそこなの?」
「間違いないよー! 他は前に探検したことあるし!」

 (たい)(まつ)の明かりを頼りに足場の悪い遺跡内を進む。
 目指す場所はただ一つ。
 最深部の小部屋だ。

(やっぱり、この遺跡には誰も調査に来てないんだな)

 タァリ遺跡は半ば砂漠に埋もれているものの、内部は比較的()(れい)だ。親世代が大規模な発掘調査を行なったからだと聞いている。
 ゆえに、今さらここに神器があると考える者はいない。
 そう思っていたのだが。

「あ、ザキールだ!」

 エストは行く手に現れた人影を見て声を上げた。
 そこには白いローブの上から黒いフードを被る、見知った優男の姿があった。
 医療神官のザキールだった。

「おやおやエスト君にイスメト君。お揃いでデートですか?」
「そうだよ!」「えっ!?」

 ザキールの明らかな冗談に対して臆面もなく答えるエスト。
 イスメトが動揺していると、彼女は「任せて」と耳打ちしてくる。

「お父様にはナイショだよ? 言ったらザキールの今までのおサボり全部バラしちゃうから!」
「ふふふ、これは手厳しい。では、お邪魔虫は退散するとしましょうか」

 ザキールは笑って、手元に広げた包みに何かをくるんで持ち去っていった。

「ザキールさん、こんな所で何してたんだろう……」
「あの人最近、旧神様の神像集めにハマってるんだよ」
「神像? でもそんなの、ここには……」

 旧神に由来する遺跡はたくさんあるが、そのいずれからも神像は発見されていない。
 ゆえに旧神様の姿は誰も知らないはずなのだが。

「それっぽい破片なら、けっこう転がってるんだよ。例えばこれとか」

 エストが拾い上げたのはどう見てもただの石ころだった。
 が、よく見ると模様らしきものが彫り込まれている。

「ほとんどは柱とかの破片だと思うけど、中には神像っぽいのが混ざってるんだって。ザキールは色んな遺跡でそういうのを集めて来て、旧神様の姿を復元しようとしてるんだ」
「え、えぇ……気が遠くなりそうだ」

 彼が旧神伝説を好きなことは知っていたが、ここまで熱心だとは思わなかった。

「さあ、早く行こ! また誰か入ってきたら神器を横取りされちゃうかも!」
「あはは、そうだね」

 エストはもうすっかり神器を見つけた気になっている。

 遺跡の最深部には崩れた祭壇があった。
 イスメト達はその裏側に回り込む。
 そこには布と砂利で巧妙に隠された『秘密の穴』が存在していた。

 この穴は昔、イスメトがすっ転んだ際に老朽化した床が崩れて出来たものだ。
 そのサイズは足首一つ分。

 当時は貴重な遺跡を壊したことがバレないよう、幼馴染み三人でこうして隠ぺい工作を行ったわけだが、エストはこの穴をさらに広げてその下に降りてみようと言う。

「構造的に、この部屋はあの怪しいゾーンの真上なんだよ」
「地下の隠し部屋、か……」

 いかにも何かが出てきそうな予感に心音が早まる。
 久しく忘れていた高揚感だった。

 いささか罪悪感はあったものの好奇心には勝てない。
 二人は砂利と布を取り払い、床を石片などで慎重に叩いていった。
 やがて穴は人一人が抜けられるほどの大きさになる。

 確かに、下には空間が広がっているようだった。

「……これでよしっ、と」

 イスメトはロープを太い石柱に結び終わる。
 あとはこれを伝って下に降りるだけだ。

「慎重に行こう。蛇とか、ま、魔獣とか、いるかもしれな――」
「よ~し、下まで競争だーっ!」
「って、エスト――っ!?」

 競争も何もロープは一本なのだが。

 生まれつきのお貴族様――であるはずの少女は、上品さの欠片(かけら)もない勢いでロープを滑り降りていく。
 その思い切りの良さは戦士顔負けだ。

 イスメトも慌てて後を追った。
 縦穴の深さは、建物二階分に届きそうだった。

「エ、エスト! もしものことがあったらどうする……気……」

 なんとか階下に降り立ったイスメトは、すぐに言葉を失うことになる。

「うわぁ……すごい……」

 エストもまた、うっとりと立ち尽くしていた。
 目の前には古めかしい祭壇があった。
 (ほこり)をかぶり、所々が朽ち果てて、今にも崩れそうな祭壇だ。

 誰もいない。
 どころか向こう百年、人が踏み込んだ形跡すらない。
 そんな場所で、なぜか壇の上に置かれた祭事用のランプにだけは赤々と火が(とも)っている。

 祭壇の先には一体の黒い神像が佇ん(  たたず  )でいた。
 顔面は砕けていてよく分からないが、男神(おがみ)の立像のようだ。

「これが……旧神、様?」

 物語には力がある。
 少なくとも、子供に夢を見せるくらいの力が。
 そしてこれは――

 僕と、とある神様の、物語だ。


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