「な、何だと? セト……今、そう言ったのか」
「え、はい……そうです、けど……」

 何か様子がおかしい。
 そう感じたのは、イスメトが大神殿で事のあらましを説明し終わった後。
 歴史に葬り去られた旧神の名を、大神官に伝えた時だった。

「ああ、なんということだ……」

 大神官は頭を抱え、何かを考えるように黙した。

「だ、大神官様……?」
「旧神様が、あのセト神だった……? ああ、なんと皮肉なことか!」
「あ、あの! 早くエストを――」
「っ、近寄るな! 邪神の遣い!」

 イスメトは大神官に突き飛ばされ、美しく磨かれた石の床に尻餅をつく。
 痛みよりも、困惑の方が強かった。

 邪神の遣い?
 それは一体、どういうことだ。

「セトは神殺しの神……(はる)か昔、楽園(アアル)を崩壊へと導き、世界に(こん)(とん)と魔獣を解き放った、破壊神の名だ!」
「え……ええっ!?」

 本当に、どういうことだ。

【あァー……破壊神。そう来たか】

 目を白黒させるイスメトに対し、セトは落ち着き払った声色で呟いた。
 その声も姿もイスメト以外には感知できないらしく、彼は大神官の背後にそびえる豪華な祭壇の上で(のん)()に寝そべっている。

【やはり、神話がだいぶ脚色されてやがるな。確かに楽園はぶっ壊したが……】
(ぶっ壊した……!?)

 その事実だけでも、彼を破壊神と断ずるに十分すぎる気がするのだが。
 セトは面倒くさそうに頭を掻く。

【相応の事情があったんだよ――っつか、後ろ見た方がいいぞ】
「え……っ!?」

 言われて振り向くと、神殿の出入り口を塞ぐように警護兵が集っていた。
 その数、十余名。

「だ、大神官様? こ、これは……」
()(わい)(そう)だが、お前を生かしてはおけぬ。邪神に取り()かれた人間は、やがて他の人間の魂を()らい、魔獣に変えてしまうのだ」
【やれやれ。そりゃまんま、アポピスのことだろうが】

 セトが訂正するも、当然、大神官には聞こえていない。
 仮に聞こえたとしても、どのみち神殿に古くから伝わる神話の方を真実と捉えるのが神職のさがだ。

「衛兵よ、この者を処刑せよ! なるべく、苦しませずにな」
「――っ!?」

 思わぬ事態に、イスメトの顔から血の気が引いた。

 皆の探し求める旧神様が、実は神話に名を残す破壊神だった?
 つまり僕らの先祖は、世界を滅ぼす〈厄災の神〉を(あが)めていたということになる。
 しかし、戦士達に伝わる旧神様の伝承は英雄譚ばかりだ。

 なんだか(つじ)(つま)が合わない。

【考えるのは後だ】

 セトは(あき)れ顔で起き上がると、(しん)()(ろう)のように姿を消してイスメトの(なか)へと戻ってくる。

【とりあえず逃げる。出口へ走れ】
(ええ!? む、無理です! 兵士があんなに……!)
【俺が何とかする。オマエはとにかく突っ走るだけでいい】
(そ、そんな無茶な……!)

 神殿の衛兵と言えば、オアシス中から()りすぐられた精鋭だ。
 神兵とまではいかずとも、その実力は折り紙付き。
 一対一でもイスメトには厳しい相手である。

【いいか、コイツらは勘違いしてやがる。このままオマエごと俺が処刑でもされてみろ。棺の封印が解けて、あの娘こそ邪神の遣いとやらになっちまうぞ?】
(……! エストが!?)
【そうなりゃ、いま神官が言った通りのことが起きる。オマエはそれを望むのか?】

 エストが邪神に操られて人々を襲う――
 そんな未来、想像することすらおぞましい。

「ぅ、ぅわああああーーっ!!」

 イスメトは出口へ向かって飛び出した。
 後先など考えず、ただセトの言葉に従って。
 衛兵達は退路を与えぬよう横長の陣形を組み、各々に武器を構えている。

【そうだ、それでいい。お前は出口だけ見てろ】

 セトはイスメトを操り、その手に戦杖(ウアス)を召喚する。
 そして――

「へぶ!?」
「ぐおっ!」

 立ち塞がる兵達を一人、また一人と殴り飛ばしていった。
 イスメトはただ()()(しや)()に走るだけ。
 それでも(セト)は華麗に攻撃をかわし、衛兵が見せる僅かな隙を突いて適切な打撃を与えていく。

「出口を固めろ! 絶対に逃がすな!」

 衛兵のリーダーと(おぼ)しき男が叫んだ。
 すると兵達の半数が庭に先回りして陣形を組み直す。
 さらにセトは、周囲から別の足音が近づいていることにも気付いた。

【増援か――小僧、作戦変更だ。合図したら跳べ!】
「は、はい! ……え!?」

 跳ぶって、どういうこと?

【――()は炎天。奪い与える熱砂の血風(けっぷう)

 セトが神術を唱え始める。
 イスメトは自分の体が段々と熱く、そして軽くなっていくのを感じていた。

【今だ、跳べ――(上昇気流(アク・アエリオ))!】
「――っ!!」

 もはや聞き返す時間もない。
 イスメトは幅跳びの要領で思い切り床を蹴った。

「え」

 直後、目の前には神殿の天井があった。
 待ち構えていたはずの衛兵達は遙か下。

 ――バゴォッ!

 右手(セト)の繰り出した刺突が石の天井を粉砕する。
 そうしてできた大穴をくぐり、イスメトは砂漠の方角へとそのまま吹っ飛んだ。

「な……なんだ今の……」

 神殿内に残された衛兵達はただ(ぼう)(ぜん)と立ち尽くす。
 空から岩でも降ってきたのかと疑うほどだった。
 なにせ彼らは、少年が飛び上がった瞬間に突風で吹き飛ばされ、気付けば天井に開いた大穴を見上げていたのだから。

「風を操る力……やはり、あれは(まぎ)れもなくセトの……」

 大神官は慄き(  おのの  )、天井の穴を見つめながら国神に祈りを捧げた。
 神話に名を残す最悪にして災厄の神が、どうかこの国に災いをもたらさぬようにと。

■ ■ ■

(と、跳ぶっていうか、飛んでる――!?)
【あとは落ちるだけだがな】
「ええッ!?」

 空を矢のごとく滑空するイスメトが思わず声を上げた時、下にはすでに砂地が広がっていた。

「ぼぶべっ!?」

 墜落と同時に砂がボフンと舞い上がる。
 幸い体は神術で軽くされたままだったらしく、大きなダメージはなかった。
 ただ、顔の穴という穴に砂が入りこみ、イスメトはしばらく(もん)(ぜつ)した。

【クッハハ! 初フライトで顔から着地した依代はオマエで二人目だ。こりゃ逸材かもな】

 イスメトは砂を吐き散らしながら、自分の飛んできた方角を見やる。
 神殿の高い壁が小さく視認できる。
 軽く6000キュビト(※約3km)は飛ばされたらしい。

「な、なんとか逃げられたけど……これからどうしよう」

 頼みの大神官には『邪神の遣い』呼ばわり。
 依代を交代してもらうどころか、死刑宣告まで受けてしまった。
 町では今頃、衛兵達が血眼(ちまなこ)になって自分を探していることだろう。

【あァ? んなの決まってんだろ。どうにかしてあの仏頂面に、俺の信仰を認めさせんだよ】

 絶望するイスメトに対し、セトは特に動じた様子もなく人身の姿を現した。

【オラ、なに寝ぼけた顔してやがる。とっとと立て】
「うわっとと!?」

 またもや首根っこを()(つか)まれ、イスメトは宙ぶらりんにされる。

「あ、あの! 認めさせるって、具体的にどうすれば……」
【そうだな、まずは基本からやるか。喜べ。おあつらえ向きの()()が早速、あっちから転がり込んで来た】
「え……?」

 イスメトはセトの視線の先を追う。
 視界いっぱいに広がるのは、快晴の青と砂漠の()(はく)(いろ)
 そして、その壮大な二色の境目を濁すかのように――

(なんだ、あれ……)

 砂煙が雲のようにたなびいていた。
 その先端には十数頭の(らく)()の群れがいる。

 商隊(キャラバン)だ。
 大事な商品を時に投げ捨てながら、彼らは走っていた。
 まるで何かから必死に逃れるように。

 やがてモクモクと立ちこめる砂の中に、黒光りする生物が見えてくる。

「あ、あれって……まさかっ!?」

 イスメトの顔からサッと血の気が引いた。

 中級魔獣・屍転蟲(アス・ワウト)
 その姿は砂漠のスカラベそっくりだが、大きさは人間の頭ほどもある。
 動物の(はい)(せつ)(ぶつ)を転がす人畜無害な甲虫と(  こうちゅう )は似て非なる存在である。

 彼らは狩りをする。
 砂の中に身を潜め、近くを通った獲物に飛びつく。

 厄介なのは、その時に(はね)から毒液をまき散らすことだ。
 毒液を浴びれば最後、獲物はドロドロの肉塊へと変貌する。
 そして、太く発達した後ろ足で丸められ、砂漠を転がり続けることになるのだ。

 彼らの携帯食として。

「あっ、危ない――!!」

 まさに今、そんな惨劇が目の前で起きようとしていた。

 商隊の進行方向に新手の屍転蟲(アス・ワウト)が数体、飛び出す。
 前方の数頭はそれにより転倒し、挟み撃ちにされて身動きが取れなくなってしまった。
 一方で、それ以外の駱駝は難を逃れてこちらへ向かってくる。

「そこの! 早く逃げろッ!」

 その内の一頭を繰る商人が、すれ違い様に警告をくれた。
 もちろん、イスメトも逃げたい気持ちは山々だったが――

【ククク――助けたい、って顔だな】
「えっ、そ、そりゃ……でも、あんなの僕じゃ無理だし……」

 セトは何かを企む(  たくら  )ようにニタリと笑う。
 なぜだろう。(すご)く、嫌な予感がする。

【なァら決まりだ! 全力で恩を売って、謝礼の巻き上げと行こうぜ!】
「ま、巻き上げ!?」

 まるで神らしからぬ言動が聞こえた気がしたが、聞き返す暇もなかった。

【布教活動の基本。それは――人命救助だ!】

 そしてイスメトの体は、再び空中へと射出された。


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