いくつもの貫木(かんぬき)が渡され、硬く封印されたオベリスクの扉。

「つ、ついに……ここへ入る時が――」
【とっとと行くぞ】

 それは何の感慨もなく、神力のこもった右足(セト)の蹴りの一発で吹き飛んだ。

「お、お前な……っ! 少しは用心を――」
【大差ねェっての。見ろ】

 扉の先は壁だった。だが行き止まりというわけではない。
 左回りに続く、細い上り階段。
 その始点がこの入口だった。

【少し登ってようやく一階だ。そっから先は頂上まで部屋は()ェ。塔の真ん中はずっと吹き抜けで、壁に生えた階段を延々と上り続けることになる】
「な、なるほど……」

 イスメトは今度こそ慎重に階段を一段、また一段と上がっていく。

 セトの言うとおり、一階に着くや視界が開けた。
 広い空間だ。
 外観からも想像はできたが、小さな民家なら四軒くらい押し込めそうである。

 周囲はいやに静まりかえっている。
 フロアへ出るなり魔狼(ゼレヴ)の一匹でも飛びかかってくるかと身構えていただけに、イスメトは拍子抜けした。
 だが緊張の糸は緩めない。逆に、静かすぎて不気味なのだ。

「何も……いない……?」
【上を見な】
「――っ!?」

 絶句せざるを得なかった。

 白い四角形の壁に沿って螺旋(らせん)のように天へと伸びる、荘厳な階段。
 その随所から、おびただしい数の視線がこちらに注がれている。

 縦長の顔。
 荒い息づかいが聞こえてきそうな、大きくて長い鼻。
 口の両端から飛び出る二本の鋭い牙。

 中級魔獣――魔猪(カンゼル)だ。
 文字通り、猪の(  いのしし )姿をした魔獣である。

 彼らの主な戦術は突進と突き上げのみ。
 にもかかわらず中級に分類されるのは、その巨体から生み出される他に類を見ない膂力の(  りょりょく  )せいだった。

 並みの人間がその体当たりをまともに()らえば、全身の骨が砕けて内臓が破裂する。そのうえ脚力もある彼らの追跡を、人間の足で振り切ることは不可能だ。

魔猪(カンゼル)は確か、動くものを攻撃する習性が――」
【んじゃ、とっとと始めるか】
「え」

 何を、と聞く間もなかった。
 次の瞬間には、足が勝手に階段を駆け上がり始めている。
 当然イスメトの意志ではない。

「なっ、ちょ――!?」

 ここは普通、戦術を打ち合わせてから行くんじゃないのか。
 いや、この神に普通を求めることがそもそもの間違いか。
 相手は砂漠を生き抜く猪だが、猪突猛進(ちょとつもうしん)の言葉が似合うのはどちらかというとセトの方である。

「こ、こんなの無理だってえええぇぇ~――ッ!!」

 もはや猛獣だらけの(おり)の中へ特攻するも同然。
 思わず漏れた悲鳴が塔にこだました。

【うっせぇ! 先手必勝って言葉、習ってねェのかァッ!】

 セト語録にもたまにはマトモな言葉があるようだ。
 もっとも今回は状況がマトモじゃないが。

「ピギィャアァァァ――ッ!!」

 こちらが動いたと見るや、けたたましく嘶い( いなな  )て階段を駆け下りてくる魔猪(カンゼル)たち。
 だが幸い、階段の幅は7キュビトほど。(※1キュビト=1/2m)
 図体(ずうたい)の大きい彼らでは、ぎりぎり二体は並べない。

 セトは一体目と衝突する寸前で跳躍、その背の上で身を回転させた。
 円を描いた(やり)の軌跡が、流れるように敵の胴体を切断する。

 そのまま二体目の上へ落下。
 項に(  うなじ  )穂先を(たた)()む。

 引き抜くや今度は前方へ。
 三体目の突進をかわしつつ、横腹へ槍を潜り込ませた。
 そのまま体側を()(さば)きながら、石段を大股で駆け上がっていく。

 その鮮やかな動きにイスメトは感動を禁じ得ない。
 一方で、目眩(めまい)がした。
 その視界も衝撃も感触も、すべて自分のものとして伝わってくる。心臓がいくつあっても足りない。

【大体テメェなァ! いい加減、その情けねェ口癖やめろやウジ虫がッ!】
(だ、だってお前がいきなり――!)
【こういうのは士気に関わんだよ! テメェの士気にも、俺様の士気にもな!】

 言ってる意味は分かる。
 が、納得はできない。
 僕だって心の準備さえ整っていれば、こんな醜態はさらさないのに。

【よし決めた! 次「無理」って口にしたら依代降板だ! それが嫌なら()()れや!】
(う、うぇぇ……)

 コイツ、今朝のやり取りに味を占めていないか?
 これから同じ手口で色々なことを妥協させられる未来がイスメトには見えた。

【返事は「オウ!」だッ!】
(お、ぉぅ……)
【ったく! つくづく締まらねェな!】

 そうして念話を交わしている間にも、セトに(たた)()せられ、階下へ落ちていく魔猪(カンゼル)の群れ。
 その数は早くも十数体に上っている。

(流石セトだ。これなら何とか――)
【コレがずっと通用するなら、だがな】

 返すセトの声は真剣そのものだった。

【コイツらは本丸じゃない。テメェの親父はこの程度のヤツらにやられるか?】
(……! それは……)

 連携を取らない敵に、挟み撃ちすら難しい地形。
 一匹ずつ堅実に倒せば、いくら数が多くても踏破は時間の問題に思える。
 父は、この程度の(やつ)らに負けたりしない。

【こういった群れには大抵、親玉がいる。それも(ひど)く厄介なのがな】
(厄介……?)
【たとえば肉体と混沌(なかみ)が、完全に独立して動くヤツとかな】
(それって! まさか……)

 魔猪(カンゼル)の顔面を兜の( かぶと )ように覆う黒いモヤ。混沌(こんとん)
 遺跡で出会った大蛇のように、その『影』の部分が立ち上がり襲ってくるということなのか。

 セトはイスメトのその推測に答えを返さない。
 正確には、返す必要がなかった。
 何度目かの踊り場にさしかかったところで、セトは急に足を止める。

「うっ!? 何だこの臭い……!」

 肉が腐ったような(ひど)い悪臭にイスメトは顔をしかめた。
 目に()まったのは、上階から流れ落ちてくる黒い粘液のような何か。
 感じるのは、ズシン、ズシン、と頭上から響く、重い蹄の( ひづめ )音。

【そォら、言ってる傍から――】

 黒い粘液は踊り場に()まり、集まり、ブクブクと大きく膨張する。
 そして内側から勢いよく、()ぜ飛んだ。

【――お出まし、だッッ!!】

 瞬間。
 セトはイスメトの体から飛び出していた。

 その手に握るは〈支配の杖(ウアス)〉。
 もはや人の目には捉えきれぬ速度で振るわれたそれは、イスメトに()()こうと飛来する闇の飛沫(しぶき)を全て打ち払い、蒸発させる。

 まさに一瞬の出来事だった。

「い、今のは――!?」

混沌(アポピス)がテメェの魂を直接()らおうと出張ってきたのさ。並みのニンゲンがアレに接触すると意識を奪われる。この状況では即死も同然だな】

 セトの体越しにイスメトはうごめく闇を(にら)む。
 その闇を浴びて力無く倒れるエストの姿が一瞬、頭をよぎった。

【アポピスは俺が引き受ける。その間、オマエは――】

 闇が打ち落とされてもなお、先の地響きは続く。
 やがて進行方向の踊り場に、その振動の発生源が姿を現した。

【ヤツが依代とする、あのデカブツをどうにかしろ】

 魔猪(カンゼル)の親玉。
 これまでの奴らより一回り大きい。
 その背には無数の槍や刀剣といった武器が突き刺さっていた。

 もはや絶命していてもおかしくはない、痛々しい姿だ。
 にも関わらずソイツは威厳すら感じさせる足取りで前進を続ける。
 その顔面には、炎のような闇の霧が揺らめいていた。

【ニン……ゲン……】

 暗く濁った瞳が、イスメトを捉える。

【タタカ、ウ……ニンゲン……タタカウ……!】

 そして前足で床を()き鳴らす。
 それは突進の予備動作だと、これまでの戦いから学んだ。

 イスメトは反射的に横手へ体を投げ出す。
 直後、その脇を疾風が過ぎ去った。
 その風に(あお)られながらも着地と同時に体を反転。すぐさま槍を構え直す。

「これが、塔のヌシ――ッ!」

 激しい振動と共に後方の壁へ激突したヌシは、ゆっくりと方向転換を始めている。

 ここで攻めるべきか。
 いや、まずは様子見だ。

 なにせあちらの攻撃は全てが一撃必殺。
 対してこちらの手数は限られている。

「――っ!?」

 そうしている間に、今度は背後から怖気(おぞけ)が忍び寄る。
 イスメトは咄嗟(とつさ)に振り返ろうとした。

【目を離すな!】

 だがセトの叱責で思い留まる。
 そんな少年の後ろで、伸び上がった混沌が再び()ぜた。
 今度のは自爆ではない。セトの放った飛び蹴りによって四散させられたのだ。

【テメェはそのバケモンだけに集中しろッ!!】

 セトは再び集まっていく闇の中心へ戦杖を( せんじよう )突っ込むや、かき混ぜるようにその不定型な体を巻き取っていく。
 そうして放たれたのは暴風を伴う振り上げ。
 闇は(はる)か頭上へと吹き飛び、獲物(イスメト)から大きく引き離される。

【いいか! 俺がいる限り、混沌の()(しゆ)は決してオマエには届かない! だがその分、俺はオマエを操れもしなければ、援護できる保証もねェ! 要は――】
「修行の成果を見せろ、ってことか!」
【そういうこった!】

 一人と一柱は、ほぼ同時に地を蹴った。
 一人は、前方で体勢を整えた巨体の追撃をかわすため。
 一柱は、上階で黒い体を泡立たせるアポピスに追い打ちをかけるため。

 そして、それぞれの戦いの火蓋が切って落とされた。


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