パレードが終わっても、祭りは続いた。
 神殿の前庭や町の通りには様々な屋台が出され、飲食を楽しむ人々であふれかえる。

「みんなお疲れさまーっ! これはアタシ達からの差し入れ!」

 メルカら行商人が、すっかり顔なじみとなった戦士達に麦酒の入った器を配っている。
 酒が入ってからは、あっという間に騒がしくなった。

「いやー、しかしホント驚いた! いつの間に魔獣嫌いを克服しやがったんだこいつゥ!」

 輿(こし)から降りると、イスメトは戦士達に()みくちゃにされる。

「あーあ、俺にもチャンスあったのになー! どこかの誰かが抜け駆けしやがったからなー!」
「バーカ! お前なんかヌシの蹄に(  ひづめ  )すり潰されておっ()んでたよ!」「がはは!」

 喜びも祝いも、妬みも(ひが)みも、全部酒に混ぜてどんちゃん騒いで。
 朝の厳かなパレードよりも、まだこちらの方がイスメトの性には合っていた。

「ふあぁ……()(すが)にちょっと疲れたな」

 ようやく体が空いたイスメトはこっそりと広場を抜け出す。
 井戸で顔を洗い、適当な民家の階段に腰掛けて涼んだ。
 派手な衣装を脱ぎ、知り合いの中からも抜け出してしまえば、声をかけてくる者もいない。

(セトはもういいのか? これ、一応セトのための祭りだろ)

 セトもしれっと化身を消し、今はイスメトの中に戻っていた。

【俺の入墨を入れてる戦士どもには一通り声をかけた。残りの有象無象は追々でいい】

 そういえば、ずっと気になっていたことがある。
 人身のセトの左(ほお)にある入墨の形だ。

 それは一人前の戦士の証と( あかし )して戦士の村々に伝わるものと全く同じ。
 イスメト自身は魔獣を倒せるまではと彫るのを辞退してきたが、戦士なら成人後に体のどこかしらへ入れる。

(もしかして、あの入墨……セトが由来なのか?)
【もしかしなくても俺が元祖だが? アレを現世まで継承してきた(やつ)らなら、少なくともホルスの神官よかアテにできる】

 また一つ、セトに関する豆知識が増えた。

「よう」

 不意に聞き覚えのある声に呼ばれ、イスメトは肩を跳ねさせる。

「ジ、ジタ……!」

 顔を上げると、黒髪黒瞳の少年が骨付き肉を(かじ)りながら立っていた。
 前髪に半ば隠れた眠たげな目からは、相変わらず感情を読み取りづらい。

「えっと……あ、あの時のこと、だけど――いっッ!?」

 言い終わる前に、ジタの手刀がイスメトの頭頂を襲う。

「バーカ。俺だって流石に空気ぐらい読むわ。半週も寝込んでた病み上がりに勝ったって(うれ)しくねーし……勝負はひとまず預けといてやる」

 ジタは言いながら、イスメトが座る石段の側面に背を預ける。
 しばしの沈黙。互いに目を合わせない。
 かといって立ち去るわけでもなく。

「……マジで仇、(  かたき  )討っちまうなんてな。やるじゃん」

 ジタは小さく言い捨てると、食べ終わった骨を道端に投げる。

「ポイ捨てはダメだよ、ジタ」
「うるせー優等生」

 また沈黙。
 オベリスク前の乱闘で絶交状態こそ解消されたものの、昔のように笑い合うには時間も努力もまだ足りていない。

 ジタは気まずい空気をごまかすように「あー……」と声を出した。

「そういや……アイツは? どこにも姿、見ねーけど」
「……あいつ?」
お喋り( しゃべ )ボサボサ頭」

 イスメトは息を()んだ。
 幸い、目の前の雑踏を眺めているジタはこちらの動揺に気付いていない。

「旧神様の復活祭なんて、ヨダレ垂らして張り切ってんじゃねーのか」
「エ、エストは……今、体調を崩してるらしくて」
「うげ、マジか。あの超絶健康優良児でも風邪とか引くの」
「そ、それは流石に言い過ぎ……だと、思う」

 できればジタには事情を説明したい。
 が、この件はセトにも大神官にも口止めされている。

「ふーん……ま、あとで神殿(のぞ)くか。顔ぐらい見せとかねーと、後がうるせー」
「あ、はは……そうだね」

 人混みに消えていくジタの背をイスメトは静かに見送った。

『お前が眠っている間に、娘の解放を試してみた』

 イスメトが神殿の寝所で意識を取り戻した日。
 ザキールが見回りに来るまでの間に、セトは告げた。

『今の俺の力じゃ、娘に()いたアポピスを(はら)えそうにない』

 最初は冗談か何かだと思った。
 しかし――

『――悪い。これについては俺の見通しが甘かったとしか言えん』

 セトの発した気持ち悪いほどに素直な謝罪が、状況を如実に物語っていた。
 あれから皆との再会があったり、祭りの準備があったりと大忙しで、結局まだこの件はイスメトの中で保留されていた。

(……セト。エストは、本当に助けられるの?)
【棺の中で生かし続けることはできる。だが、あのアポピスは何故(なぜ)かあの時よりも力を強めてやがる。こうなりゃ、さらなる信者獲得を目指すしかない】

 今さら神の依代という役目に()()づくわけではない。
 ただ、焦燥と不安は増した。

 自分は本当にエストを助けられるのか、と。

 それに、もしセトが(うそ)を吐いていたらどうする?
 自分の信仰を広めさせるために。

【もっともな疑念だ。が、今の俺にそれを払拭する(すべ)はない】
「ああ、いや! ……いいんだ。ごめん」

 理性では分かっていた。
 今さらセトを疑ったところで何も進まないのだと。
 むしろ父の仇まで討たせてもらっておいて、こんな考えをよぎらせる自分が嫌だった。

「あっ! おかあさん見て! 流れ星!」

 ふと聞こえた、何の変哲もなさそうな親子の会話。
 それが唯一の前触れだった。

 日が沈むには少し早い。
 こんな明るい中で流れ星なんてと思いながらも、イスメトはつられて子供の指差す東の空を見上げる。

「……え?」

 確かに、輝く光の筋が見えた。
 青い空に黄金。
 星というより、太陽の光の(かけ)()が降ってきている――そんな感じだった。

「なんだありゃ」
「ねえ、こっちに向かって来てない?」

 周囲の人々もざわつき始める。

「セ、ト……?」

 イスメトは、内側から(あふ)れる神力によって体が熱くなっていくのを感じた。

【体を借せ】

 有無を言わさぬ声色だった。
 手元には既に〈支配の杖(ウアス)〉が現れている。

【ヤツが、来た――ッ!】

 セトがイスメトの体に風をまとわせ、石段を蹴って跳躍したとき。

「――()は逆賊を穿(うが)つ王者の威光――」

 空に現れた人影が何事かを唱える。
 すると光は人々の頭上で枝分かれした。

「――(勝利を導く十色の銛(セヌ・ネス・リアンヴォス))!」

 それは()(はく)(いろ)の輝きをまとう十本の(もり)となり、人々の上に降り注ぐ。

「【――()は天に弓引く反逆の意志――】」

 民家の屋根へと一足で跳び上がったセトは、疾風のごとく駆けながらイスメトの口で神術を唱える。

「【――(玉座を射抜く九つの矢(ヴェロス・ペセジュ))!】」

 町の防衛のために各所に備え付けてある矢筒から、(あま)()の矢がひとりでに飛翔す( ひしょう )る。
 それらは赤雷(せきらい)(まと)い、人々に降りかからんとする光り輝く凶器のうち、九つを退けた。
 残された最後の一本は、空中で振るわれた戦杖に( せんじょう )打ち返される。
 銛は向きを反転させ、天へと遡っ( さかのぼ )ていく。

「おっと」

 顔の横でそれを(つか)()ったのは、翼の生えた人間だった。
 そいつが打ち返された(もり)を握りしめると、銛は光の粒子となって消滅する。

「ほぅら、出てきた。こうした方が早いって言ったろう?」

 空からの襲撃者は、残忍とも無邪気とも形容できる笑みを浮かべ、こちらを見下ろしていた。


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