日に焼けた屈強な男達は、各々に武器を携えホルスを包囲する。

「【俺の依代を殺すかホルス。それもいいだろう】」

 イスメトの体に再び宿ったセトは、折れた足を砂で補強しながらホルスの前へと進み出る。

「【だが、よく考えることだ。ここにいる野郎どもは既に俺に忠誠を誓っている。いざという時には喜んで、俺にその肉体を(ささ)げるそうだぞ】」

支配の杖(ウアス)〉を構えるセトの周囲を、風と赤雷(せきらい)が取り巻く。
 まるでその場に小さな嵐が生まれたように。

「【一方、テメェは単騎。依代はその老いぼれ一人と見える】」
「――っ」

 ホルスはまた一歩、後ずさる。

「【確かオマエは誓約を立てていたよなァ? ウン千年前から続く王家の血族としか契約を結ばない――その代わり、王権の神としての権能も備えているんだったか?】」

 勝ち誇った笑みを浮かべるのは、今度はセトの方だった。

「【いいのか? 今ここで、その貴重な肉体を失うことになっても】」

 突風が巻き起こる。
 それはセトの風ではなく、ホルスの翼が大きく羽ばたいた余波だった。

「チッ! ああ本当に……ッ! 話の分からない(やつ)らだッ!」

 空へと逃れたホルスは周囲を見渡す。
 その両目が捉えるのは、神殿や家屋の影から様子を伺う人々の姿だ。

「出ていけ!」
「お前はもう俺たちの神じゃない!」
「何もしてくれなかったくせに!」
卑怯者(ひきょうもの)!」

 その多くが国神への敵意を()()しにし、物を投げたり、()()を飛ばしたりしている。

「ッ、いいだろう! これが〈砂漠の民〉の総意ということだな!」

 ホルスはさらに高く跳び上がる。
 意図的に生じさせた風圧は、戦士達を吹き飛ばす前にセトの放った風に相殺された。

「だが忘れるな! お前達は必ず、この選択を後悔することになる! 終焉の(  しゅうえん  )時まで、せいぜい泡沫(うたかた)の平和を満喫するがいいさ!」

 やがてホルスの姿は光となり、(はる)か東の空へと消え去った。

「おおっ! 国神がセト様に恐れを成して逃げ出したぞ!」

 戦士達を中心に歓声が沸き上がる。
 戦いを見守っていた人々にはそのように見えたらしい。
 だが、当事者の抱く感想はまた異なっていた。

(一時撤退……ってことか?)
【どうやら最初から、〈砂漠の民〉との総力戦を演じる気まではなかったらしいな。野郎、明らかに手を抜いてやがった】

 薄々、イスメトも感じてはいた。
 本気でセトを潰す気なら、尋問などせずにイスメトを殺せば良かっただけだ。
 最初の『挨拶』を除き、民を攻撃するようなこともホルスはしていない。

【どうやら本当に、オマエと話がしたかっただけらしいな】
(僕と……)

 ホルスに問われたことが、再度イスメトの心に波紋を投げかけた。

『今ここで選べ。セトに付いて、この国神ホルスを敵に回すか』
『セトを差し出し、我が保護下に戻るか』
『ひとたびセトが闇に落ちれば、事態は反転するのだぞ』

 出した答えに悔いはない。
 だが、ホルスの言葉によって、このオアシスの未来に暗雲が立ちこめたことは事実だった。
 
 
 
【この程度なら、明日には治るな】

 その後、イスメトはアッサイに担ぎ上げられ神殿へ運ばれた。
 昨日の今日でまたも寝台での安静を余儀なくされることに。
 幸い、セトが神力を回してくれるお陰で足の痛みは随分とマシになっていた。

「セト……ホルスが言ってたこと、だけど……」
【明日にしろ。もう寝落ち寸前だろオマエ】

 実際、(けん)(たい)(かん)で目蓋が石のように重かった。
 セトに体を預けた副作用である。
 最初の頃ほど(ひど)くはない分、少しは慣れてきたと思ったのだが。

【あァー……だがこれだけは言っておく】

 おもむろにセトは人身の姿を現す。
 自分で話を保留しておいて何だろうと思っていると、セトはこちらに背を向けたままクシャクシャと頭を()いた。

【俺をホルスに売らなかったこと……一応、感謝しておいてやる】
「……ぶっ」

 鼻水が出た。

【なぜ笑う】
「いや、意外と律儀なとこあるよなと思って」

 セトは何か言いたげにこちらを睨んだ後、姿を消した。
 
 
 
■ ■ ■
 
 
 
 その頃、天空を(かけ)るホルスは砂漠を越え、大河を北に下っていた。

【随分と熱くなっていたじゃないかホルス。そもそも、彼らとは『対話』をする予定だったのでは?】
「しただろ、ちゃんと。あっちがブチギレ特攻してきただけで」
【ふむ、あれが戦神同士の対話か。さすが次元が違うな】
「……ちょっと馬鹿にしてるだろ、君」

 一柱にして一人でもある神は、内側に宿る依代の魂と言葉を交わしている。

「あの(くず)ブタ野郎には昔から話なんか通じないのさ。砂漠の愚民どももな。この僕を罵倒し、ゴミを! 投げつけやがって!」
【それは仕方がない。辺境のオアシスにまで手が回っていないのは事実だ】
「アイツらは僕らの苦労を知らないから――!!」
【だから『仕方がない』と言っているんだ。少し心を落ち着けることを推奨しよう】

 依代に諭され、ホルスは口をへの字に結ぶ。

【ともあれ、セト神は(こん)(とん)()ちてはいなかった。どうやら民にも信頼されているらしい。やはり瑞兆だ(  ずいちょう  )ったな】
「今は、ね」
【ホルス……】

 反省の色を見せないホルス。
 依代は、どう主を(  あるじ  )説得すべきかと頭を悩ませた。

【確かに私は、貴方(あなた)がたの因縁の全てを知るわけではないよ。けれど……そうやって感情を起点に物事を見る癖は、是非とも改めることを――】
「やかましいな。分かってるよ」

 ホルスは依代の言葉を半ばで制し、フンと鼻を鳴らす。

「辺境のことは、今はアイツらに任せる。それでいいだろ」
【ああ。そうするべきだろうな】
「まったく! セトが変なことを言うせいで、面倒事がまた増えた!」

 ホルスは翼の神力を強め、さらに加速していく。

【ああ、急ぎ神殿を回ろう。これは本格的に、影の教団が動いているかもしれない】


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