カルフの走ること砂漠を駆ける風のごとし。
 その足はセトが吹かせる追い風に導かれていく。

「そ、それで!? こいつはどこへ向かってるんだ!?」

 イスメトはその背にへばりついていた。
 もう半刻は走っているが、一向に騎手らしいことはできていない。
 全身がびょうびょうと風を切る。叫ばなければ自分の声すら聞こえない。

【ファライヤだ。あそこは俺の神域の最西端。まずはそこのボロ神殿を整備して、結界の守りを固める】

 対して後ろにいるセトはカルフの上であぐらを掻いたまま、平然とした顔でバサバサと長髪をなびかせていた。
 どう見ても騎乗の姿勢ではないが、精神体である神には関係がないのだろう。
 その人身の体からは黒く長い尾が伸び、定期的にカルフの尻を叩いている。
 本来は動物の頭を持つセト。
 そんな彼から尻尾が生え出たところで、もはや驚かない。

「ファライヤ!? 待って! 食料が尽きちゃうよ!」
【問題ない。俺達だけなら二日で着く】

 ファライヤ・オアシスはオベリスクからさらに西へ続く砂漠の先にある。
 駱駝だと片道六日は見ておきたい。

「二日!? ま、まさか、このスピードでずっと――」

 風でだいぶ口が渇いてきた。
 イスメトの言葉尻はケホケホと渇いた(せき)に変わる。

【さっきから何やってんだオマエ。俺と話すだけなら念話でいいだろ】
「あ」

 セトが周りと言葉を交わすようになって久しいせいだろうか。
 普通に忘れていた。

 そんな調子で本当に丸一日、ひたすら続く砂の上を走り続けた。
 水場も真昼の日差しもすべて無視し、目的地を目指して一直線に砂漠の真ん中を突っ切るという強行軍。
 普通なら死ぬところだが――

「砂漠の神の本領発揮……って感じだな」

 昼の暑さも夜の寒さも、今のイスメトにとっては誤差だった。
 汗はそれなりに出るが暑さにやられるという感覚はない。
 おまけにカルフは砂を食べるだけで(すさ)まじい馬力を発揮してくれた。

「オベリスクがもうあんな所に……」

 一面を夕日の赤に染める砂漠の中に、悠然と佇むオベリスク。
 ラフラからは北西に見えるそれが、ここからだとほぼ真南にある。
 それは、メルカ達と駱駝で三日かけた道のりをたった一日で移動したことを意味していた。

【俺の守護を受けた商隊は必ず砂漠を越えられる。当然だろ? もしゃもしゃ】

 セトはここぞとばかりに得意満面だ。

「って……お前、さっきから何食べてるんだよ」

 イスメトはふとセトの声に聞き慣れない咀嚼音(そしゃくおん)が混ざっていることに気付く。
 見るとセトは、カルフから下ろしてやった荷物から葉レタスを抜き取って次々と口に運んでいた。
 正確にはレタスそのものではなく、その内から取り出したレタス型の光の塊を食べている。

【ア? オマエにだって()(こう)(ひん)の一つや二つあるだろ。それだよ】

 セトが光る葉レタスを平らげると、実物の方は砂となって消えていく。
 イスメトの頭に「もったいない」の六文字が浮かんだ。

「いや、それカルフのだから。お前のじゃないから」
【俺が食っても一緒だよ】
「違うだろ!」
【一緒だっつの! 誰のお陰でコイツがこんなに走れると思ってやがる!】

 そう言われると反論できなかった。
 セトがずっと化身の姿でカルフの上にいるのも、恐らくは力を分け与えるためなのだろう。

「……神様って、ご飯食べるんだな」
【酒も飲むし、歌も歌えばゲームもやるぞ。どれも暇潰しだが】
「なんだそれ。じゃあカルフに返せよ。没収」
【待て待て。萵苣(ちしゃ)()えば俺の神力が高まるのは事実だ。そういう話、聞いたことねェか?】

 そういえば、イスメトが働いていた神殿所有の畑では毎年、特定の区画で葉レタスが栽培されている。そこでの収穫物はすべて神に捧げる決まりがあるのだと聞いた。
 これまでは、ホルス神への供物だと思っていたが――

【もしゃもしゃもしゃ……】

 ――絶対あれ、こいつ由来の風習だ。
 汁のように光をしたたらせながら無心で葉をむさぼる男を凝視しつつ、イスメトはまた一つ神への理解を深めた。

「ごめんなカルフ。お前のおやつ、あそこの目つき悪いのが取っちゃった」
「ぶぷぅー?」

 姿がゴツくなっても、カルフの鳴き声や仕草は変わらない。
 頭を撫でると、目を細めて地面にどしんと腹を付ける。
 そして隙あらば鼻先をぺとぺとしてくる。

 オベリスクで死闘を繰り広げた魔獣と(うり)(ふた)つな彼。
 最初こそ緊張したものの、一日ですっかり仲良しになれた。

【そいつ、メスだぞ】

 訂正。
 彼ではなく彼女だった。

 そんなこんなで、砂漠の旅は想像に反して快適だったが――

「がはっ――! うぅ……ォエエエエッ!!」

 今や夕食前の日課となったセトとの戦闘訓練は、相変わらず穏やかではなかった。

【吐くな吐くなァ! 砂漠で水を無駄にしてんじゃねェぞ、アァ!?】

 無茶を言う(やつ)である。
 セトの拳は一撃でも気絶しかねない威力だ。
 それを立て続けに腹へ三発も食らえば、誰だってこうなる。

【五発は耐えろや! 戦場で吐いてる暇なんざねェんだよッ!】

 それに確か一昨日までは『気絶せずに三発耐えれば及第点』と言っていた気がするのだが。

「――っ!」

 とはいえ、こちらもやられてばかりはいられない。
 セトが背を向けた瞬間、イスメトは跳ね起きて(こん)(しん)の刺突を見舞う。

【ほォん?】

 しかし、半身でかわされた。
 さらに(やり)の柄を掴まれ、イスメトの体は引き寄せられる。
 直後、顔面に激痛。セトの肘打ちをまともに喰らった。

【クハハ! 今のは悪くねェ! 相手は悪かったがなァ?】

 不意打ちにもかかわらず、振り返らせることすら(かな)わず。
 その上、セトがイスメトを封じるのに使ったのは片腕だけだった。
 イスメトは砂の上で痛みに(もだ)えながら、槍の柄をギリギリと握り込んだ。

【最近、やけに意欲的だなオマエ。ホルスと()ったのが良い刺激になったか?】
「刺激っていうか……危機感、っていうか」

 イスメトの腹には、ホルスに言われたある言葉が滞留していた。
 セトもそれを少なからず察してか、深々と長い息を吐き出す。

【やれやれ……まァた、ウジ虫モードかよ】
「う、ウジ虫モード……?」
【あれこれウダウダゴチャゴチャ考えてんだろ。思考が読みにくいったらねェ……面倒だから率直に聞く。その『危機感』ってのは何だ】

 セトは顎をしゃくる。
 イスメトは逡巡し( しゅんじゅん )たが、話さなければ殺すと言わんばかりに赤い目が光るので観念した。

「ホルスと戦った時……お前一度、僕の体から切り離されたよな。あれってやっぱり、僕のせい……なのか?」

 あの時、ホルスは見下すような目でこんなことを言っていた。

『そんなんじゃ僕らには勝てないよ』『依代がこれじゃあ、ねぇ?』

 不意にドスッとイスメトの頭頂へ手刀が落ちる。

()ィィッた!?」

 日焼けしたつむじが容赦のない痛みを訴えた。
 セトはまるで汚物でも見るように顔を(ゆが)める。

【アホかテメェ。敵の挑発をバカ正直に真に受けんな】
「~~っ、でも! 実際、危なかったじゃないか!」

 そこは反論できないのか、セトは口を開きかけてすぐに引き結ぶ。
 そして文句ありげなしかめっ面のまま、くしゃくしゃと頭を()いた。

【アレは――っ! っ、アレを防ぐには、だなァ……】

 珍しく、言葉を選ぶようにセトは視線を下に泳がせる。

【……〈共鳴〉するしかない】
「共鳴……?」
【神と依代の魂が一つとなる現象をそう呼んでいる。共鳴した神と依代は、完全なる一個の存在として神と人の性質を併せ持ち――神力による肉体の直接的な保護、修復、強化などを可能とする】

 イスメトはセトとホルスの戦いを思い起こす。
 セトの攻撃を受けたホルスは、家屋を真っ二つにしながら地面にまで(たた)き付けられた。
 しかし、その肉体には擦り傷一つ見当たらなかった。

【オマエの想像通りだよ。アレは依代の肉体と神の精神体を共鳴させて、傷を()()()()()()()()()んだ。精神体なら、物理的な傷なぞ付かなくて当然だからな】

 もっとも神力は消費するが――とセトは付け加える。

「な、なんだよそれ……そんなの、最初から僕らに勝ち目なんて……」
【ないわけじゃない。が、向こうがガチだったらヤバかったかもな】

 イスメトの背に悪寒が走った。
 お前、そんな素振り全然見せなかったじゃないか。

【虚勢も処世術の一つだと教えたハズだが?】

 一方のセトは、何を今さらと言わんばかりに涼しい顔である。
 敵と守るべき民に決して劣勢を悟らせない――
 ハッタリもここまで来ると、もはや実力の内か。

「じゃあ、その共鳴っていうのができればホルスにも……勝てる?」
【あァー……まァ、な。一応、試してみるか?】
「え? う、うん。できるなら……」

 セトに確認され、イスメトは戸惑う。
 いつもならば『一晩で体に叩き込んでやる』などと言って、一方的かつ食い気味な指導が始まるところだと思うのだが。

【……んじゃ、そこに立て】

 こちらへ歩み寄るセトの精神体が、自分と重なるように消える。

「――ッ!?」

 瞬間、イスメトは頭に雷が走ったかのような衝撃に襲われた。
 視界が明滅し、世界の明度が反転する。
 その歪な( いびつ )景色は瞼を( まぶた )閉じても消えることはない。

「セ、セト!? これは――っ!?」

 思わず発した声も、音なのか思念なのか区別がつかない。
 自分の口から出たようにも、頭に直接響いているようにも聞こえた。

【今のオマエに、俺はどう見える?】

 さらにそこへセトの声が雷鳴のように重なる。
 突如、足の裏の感触が消え、全身が砂へと沈み込んだ。
 赤黒く見える砂は流砂となってイスメトの体を()()み、下へ下へと引きずり込んでいく。

 ――それは(しん)(えん)。底知れぬ、砂の海。

【……まァ、そんなところだろうな】

 セトが魂の融合を中断した時。
 イスメトの意識は既に無く、その体は砂に突っ伏していた。


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