「十一……いや、十二?」
【十三体だ。目だけを頼るな。(こん)(とん)の気配を感じろ】

 旅立ちから三日後。
 無事ファライヤ・オアシスへと到着したイスメトは、さっそく魔獣退治を始めていた。

 ここはファライヤ湖の南方にそびえる岩山の麓。
 シダ系植物の群生地である。

「十! これで……十一!」
【あと二体いる】
「わかってるってば!」

 砂漠では、水辺とそれ以外とで景色が極端に変わる。
 草木に視界を遮られながらも、イスメトは飛びかかってきた十二体目の魔狼(ゼレヴ)の爪を横っ飛びにかわし、槍を振るう。
 神力により鋭さを増した刀身は流れるように魔獣の胴を真っ二つにした。

 それを見た最後の一匹は逃走を図る。

「――(上昇気流(アク・アエリオ))!」

 このままでは取り逃がす。
 イスメトは即座に神術を唱えて跳躍、近くの樹状シダを蹴った。
 しなる幹をバネに風のごとく低空を滑った体は、逃亡者の上へ影を落とす。

「これで――終わりっ!!」

 幹を蹴る際に加えた(ひね)りにより身を回転させ、槍が草を()ぐように狼の首を刈り飛ばす。

「いでっ!」

 そうして倒れた魔狼の数キュビト先で、イスメトは背中から地面に落ちた。

【着地がダサい。減点】
「そ、そういう問題……?」

 イスメトは苦笑しつつ立ち上がり、背中の土埃を( つちぼこり )払う。
 オベリスクで見たセトの動きを取り入れてみたのだが、まだまだ力に振り回されている感があった。

「ほ、本当に一人でやっちまうなんて……これが神の力ってやつなのか……!」

 苦言を呈すセトとは裏腹に、近くで戦いを見守っていた現地の猟師達は歓声を上げた。

「これで森を取り戻せる! 村を再興できるぞ!」

 駆け寄ってくる男達の瞳は喜色に満ちている。
 絶好の狩り場であったこの森に魔狼(ゼレヴ)が住み着いたことで、近隣の住人はオアシス北への移住を余儀なくされていたのだ。

「他に魔狼(ゼレヴ)の目撃例はありますか? まだ巣があるようなら今日中に潰しておきます」

 オベリスクによる結界が復活しても、既にいる魔獣がすぐさま息絶えるわけではない。弱体化したとはいえ、一般人にとって魔獣は変わらず危険な存在だった。

 加えて魔狼(ゼレヴ)は繁殖力が高く、一つでも群れを残せばあっという間に増えてしまう特徴がある。
 討伐を急ぐのはこのためだった。

「ほ、本気ですか!? この近くだけでも、あと六か所は……」
「六か所……!?」

 結局、イスメトはこの近辺の魔獣退治に丸二日を費やすことになった。
 だが苦労した分、成果も大きい。

「旧神様が村を取り戻してくださった!」「今夜は祭りだーっ!」

 おおよそ全ての巣を片付けてファライヤの町に戻る頃には、このオアシスにおけるイスメトとセトの地位も確立されつつあった。
 ラフラでのパレードとまではいかないが、その夜は中々の(にぎ)わいを見せることになる。

【ここだ】

 とはいえ、(のん)()に宴会を楽しんでばかりもいられない。
 イスメトは適当なところで祭りを抜け出し、この地に残されたセトの旧神殿を訪れた。

 ラフラにあった石造りの地下神殿に比べ、こちらは砂レンガによる小規模なものだ。
 そのため損傷も(ひど)い。
 周壁はほとんどが崩れ去り、本殿の最奥、至聖所(しせいじょ)と呼ばれる小部屋だけが辛うじて箱形の外観を保っていた。

 中へ入ると、狭苦しい空間に砂と()(れき)だけが転がっている。

「うーん……神像は見当たらないな」
【ハナから期待はしてない。いま必要なのはこっちだ】

 いつの間にか姿を見せたセトは、至聖所ではなくその手前、神殿の出入り口付近に佇む( たたず )二本の柱を見上げている。
 それは見覚えのある四角(すい)
 しかも石造りだった。

「これって……オベリスク?」
【正確にはその分塔だ。単なる人工物だが、神力を宿すことで本物とリンクし、結界を補強する。ゆえに、大抵の神殿にはこうした小オベリスクが置いてある】

 セトが手をかざすと、白い石がぼんやりと赤く光を(まと)った。

【神殿の再建は追々やらせるとして……今はひとまずこれでいい。この調子で全ての分塔に神力を込める。そうして結界を完全なものとすればアポピスは弱体化し、魔獣の脅威も完全に消え去る。その頃には、俺への信仰もより高まるって寸法さ】
「あと何箇所あるんだ?」
【ハッ! 聞かずとも知ってんじゃねェか? 英雄っ子】

 イスメトが幼い頃から慣れ親しんだ旧神伝説。
 その中には確かこんな一節がある。

 国をつくりし英雄は、彼を助けたその神を(たた)え、この赤き大地(デシェレト)に百の神殿を築いた――と。

「き、気が遠くなりそうだ……」
【ククク、安心しろ。伝承ってのは往々にして誇張される。実際はその三割もねェ】

 だとしても数十か所は巡ることになる。
 並行して、各地の魔獣退治も引き続き行なわねばならないだろう。

()()づいたか?】
「ま、まさか! 望むところだよ……!」

 翌日。イスメト達はこの地域を管轄する神殿を訪れて神官と話をつけた。
 彼らも称号としてはホルスの神官だが、旧神への信仰を捨て去っているわけではない。
 元来、神官はこの国のすべての神を讃え、(あが)め、なだめるために存在する職業なのだ。
 魔狼退治の功績とオベリスクの一件も手伝って、ファライヤにおけるセト神殿再建の話はスムーズに進んだ。

【とっとと次に行くぞ。昼には出発だ】

 そうして今度は、ハガル・オアシスを経由してラフラ・オアシスまで戻る旅が始まる。
 要するに、オアシス地帯(ウェハアト)を隈なく回るということである。
 セトの旧神殿は人里に点在する。
 そのため行きのような高速旅にはならなかった。

 イスメトは短期間で様々な村を巡り、人々の願いを聞き、魔獣を倒して回る。
 そうしている間に、早くも十日が過ぎ去った。

 ある日の夕刻。
 たまたま小規模な緑地帯を見つけ、イスメトは数日ぶりに砂漠での野宿を決める。
 ()()の明かりを頼りにいそしむのは木彫り制作だ。
 前回立ち寄った村で、『セトの神像が欲しい』と言われたことがきっかけだった。

「こんなことなら小作農じゃなくて、職人の家にでも弟子入りしとけばよかったかな」

 セトと言えば動物頭の人身だが、流石(さすが)に難易度が高すぎる。
 そのため苦肉の策で神獣の木彫りを作ったのだが、どんなに不格好でも依代が手ずから彫ったというその一点において人々は異様なほどに感謝してくれた。

【……いつまで工作やってんだテメェ】

 しばらく無心で手を動かしていると、セトが胡乱(うろん)げに声をかけてくる。

「いや、あんなに喜んで貰えるなら、もっと作って配ったらいいと思って」
【寝る時間を惜しむほどのことでもねェだろ】
「僕にできることは、なるべくやっておきたいんだ」

 一時間近くかけ、手の平大のカルフが完成する。
 だいぶ上達してきた。
 想像よりも良い出来映(できば)えに内心浮かれつつ、イスメトが次の木材に手を伸ばしたところ――

【だァァァ! じれってェ!】

 セトが突沸(とっぷつ)する湯のごとく、急に声を荒げた。

「おわっ、セト!?」
【貸せ! 俺がとっとと終わらせてやる!!】

 イスメトが言葉を返す間もなく、体の主導権がセトに奪われる。

 ガリガリッガガガガッ――

 手元の木材が猛スピードで削られていく。
 しかし、完成した木彫りは(まが)(まが)しく角張った流木、あるいは削り損じの角細工といった見た目をしていた。

「え、えーっと……セト様? コレは……何?」
【俺様】

 どちらかと言うと蛇である。頭部がどちらかは不明だが。
 セトは懲りずに次の木材を引っ(つか)み、やはり猛烈な勢いで青銅のノミを入れていく。
 何をそんなに熱くなっているのか、イスメトにはさっぱりだった。

「ちょ、セト……! もうやめろってばあ゛ァァッ!?」

 後ろで寝息を立てていたカルフが、主人の悲鳴にぶるると身を震わせる。
 荒れ狂う神の工作は、依代の手の平にノミを貫通させて止まった。

「~~っ! だ、誰が僕の手まで彫れって言った、この破壊神ッ!!」
【あァ!? テメェがちんたらしてっから手伝ってやってんだろが!!】

 イスメトは水辺を離れ、砂漠に駆け込む。
 貫かれた左手を砂に突っ込むと痛みが和らいだ。

「そもそも手伝えなんて言ってないだろ!? 何なんだよさっきから!」

 イスメトが怒鳴ると、腹の底で煮えるような感覚が渦巻いた。
 セトもまた(いら)()っているようだった。

【テメェ、周りにおだてられて何か勘違いしてねェか!? 俺の依代の本分は戦闘、打倒、討滅!戦いだ! 明日もどうせ魔獣を討伐する。工作ごっこで時間を潰すくらいなら、とっとと寝やがれ!】
「っ、いいだろ別に! それとも依代には、夜にちょっと好きなことをする自由すらないって言うのか!?」
【戦場で寝れねェ(やつ)は早死にするっつってんだよ! 月の位置を見ろ! とっくに深夜だぞ!】
「なんだよ! 自分が()()く彫れないからって妬みか!?」

 そこでぷつんと言い合いが途切れる。
 サワァと風を(まと)いながら人身の姿を現したセトは、(ほお)をヒクつかせながらイスメトを()め下ろした。

【ハッ! 妬んでんのはどっちだ?『僕がセトより上手くやれることはこれくらい~』とか何とか考えて、クソデカ劣等感を慰めてんのはテメェだろが!】
「な――っ! べ、別にそんなんじゃ……!」

 口では否定するも、心を読むセトの指摘は的確だった。
 イスメトは無自覚だった己の感情に気づき、(ろう)(ばい)する。
 同時に、行き場のない憤りが胸の内でうねった。

【オマエ、ホルスの言葉をまだ引きずってんな】

 それは多分、いつかセトに言われた『自分への怒り』というやつだった。

「っ、当たり前だろ! 僕はお前と共鳴できなかったんだぞ! なのに、お前は何度聞いても――っ!」

 セトと〈共鳴〉しようとして倒れた日の翌朝。
 目を覚ましたイスメトにセトは言った。

『共鳴のことは、ひとまず忘れろ』

 そして、それ以上のことは断固として語らなかった。
 言葉は時に人を傷つけるが、沈黙もまた同様である。

「お前は、僕の何が悪いのかも、何をすべきなのかも……全く、少しも……っ、教えてくれないじゃないか! つまりそれは――っ!!」

 言いかけて一瞬、イスメトは声を詰まらせた。
 セトの口から直接それを聞いて、自分は一体どうしようというのか。
 だがもう止められない。止めても、きっとセトには意味がない。

「それは僕に……依代としての才能が足りてないから、なんだろ?」


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