「うわぁぁ……これは、(ひど)いですね……」

 翌日。
 小さな農村を訪れたイスメトは、荒れ果てた畑を見回して()(ぜん)とした。

 あちこちに転がる葉レタスの芯。掘り返された土。無数の蹄の(  ひづめ  )跡。
 明らかに動物の仕業だ。
 農夫の老人は曲がった腰を伸ばしながら、ほとほと困ったように白い眉を寄せる。

「オベリスクが光り出してから、魔猪(カンゼル)が出なくなってくれたのはいいんじゃが……今度はこいつらがのう」
「え? カ、魔猪(カンゼル)……?」

 老人の言葉に、イスメトは背にひやりとしたものを感じた。
 そういえばこの蹄の跡。随分と見覚えのある形をしている。

「ぶぷーぅ」

 この間の抜けた鼻息にも、絶対に聞き覚えがある。

「まぁた来よったわい! これ! シッシッ! スナブタは砂漠に帰れぃ!」

 鈍重な足運びで(すき)を振り回す老人に追い立てられるのは、長い耳をした珍獣――もといセトの神獣だった。
 彼らはすぐに茂みに隠れるも、老人が疲れてふぅふぅと息を整え始めると、機会を伺うようにまたヒョコリと顔を(のぞ)かせる。

「し、神獣が……害獣に……」
【ほォん、なるほどなるほど……? 俺の獣が神に断りも無く、萵苣(ちしゃ)畑を荒らしたと……】

 いつの間にかイスメトの隣でセトが仁王立ちしている。
 途端、周辺の空気は熱気へと変わり、神の赤い長髪をゆらゆらと揺らめかせた。
 セトの右腕を、赤雷が取り巻く。

「うわあっ! ま、待て待てセト! ここは穏便に――っ!!」

 精神体である神は通常、動物を攻撃できない。
 が、神獣であるカルフには何度も触れているのをイスメトは確認していた。

【邪魔すんな便所虫が! 下僕の立場ってのを俺様が直々に分からせてやるだけだァァ!!】
「ぼ、暴力反対――っ!!」

 結局、荒れ狂うセトをなだめるのにイスメトは半日分の体力を消耗した。
 精神体に唯一触れることのできる神器。
 それを訓練以外でセトに向ける日が来ようとは。

「ほぉ~、旧神様と依代様がウチの畑で舞踏を……長生きもするもんじゃのぉ~」

 一人と一柱の乱闘を、畑の管理者である老人はのほほんと見守った。
 怒るどころか有り難そうに拝んでいる。
 恐らく、何かの儀式だと思われていた。

「うーん……スナブタは砂を食べるから、本来なら砂漠から出てこないハズ……だよな」

 神獣達に代わって容赦なくボコボコにされたイスメトは、流れ落ちる鼻血もそのままに首をひねる。
 その足下には十数匹の神獣がまとわりついていた。
 先ほどセトの神力が存分に迸っ( ほとばし )たせいか、集まってきたようである。

【スナブタだぁ……?】
「おじいちゃんがさっきそう呼んでただろ?〈セトの獣〉(  ティフォニアン  )より呼びやすいし、なんか親しみが湧かない?」

 セトは不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、特に文句を言うでもなかった。

「砂漠で何かあったのかな……」
【例えば、あのヌシ並みのバケモンが出たとかか?】

 今度は背筋だけでなく、肝まで冷えた。

「じょ、冗談……だよな?」
【行けば分かる】

 セトは意地悪く笑う。
 真偽を確かめるべく、一人と一柱は農村を越えたさらに南、広大な砂漠を調査することに決めた。

【ほォん……これはまた】

 ある地点を訪れたところで、セトは声に(けん)(のん)な響きを忍ばせる。
 砂一面の景色にはほとんど変化がない。
 が、イスメトもまた形容しがたい気配を感じ取っていた。

「混沌の……気配?」
【少しは感じ取れるようになってきたか――砂に微量だが、混沌が染みこんでやがる。これじゃ神獣の食いモンにはなんねェな】

 セトはイスメトの体から抜け出すと、砂につけた手からバチバチと神力を走らせる。
 蜘蛛(くも)の巣のように一面を巡る赤い稲妻が、闇の気配を一気に消し飛ばしていく。
 その直後。

「おわっ!?」

 地面がひび割れた。
 かと思うと、砂地全体が前後にずれる。
 土砂のように流れ出す砂の波に呑まれ、イスメトは砂丘の果てへと滑り落ちていく。

【やはり、何かあるな。デケェ気配が】
「お、お、お前がいれば、砂に埋もれて死ぬことは――!?」
【あァ、ないぜ。だから安心して呑まれな】
「ええっ!?」

 助けを乞うたつもりが、神の下した指示は残酷だった。

【この下に何かいる。それが砂を汚した元凶だろ】
「な、何かって……?」
【ハッ! だァから、それを今から確かめに行くんだろが――ッ!】
「ぐえッ!?」

 突如、セトの跳び蹴りがイスメトの胸に(たた)き込まれた。
 (とっ)()に腕を交差させて受けるも、加えられた下向きの力が抑えられるはずもなく、イスメトは流砂の中へ全身を沈ませる。

 息ができなくて苦しい――なんてことはなかった。

 恐らくこれもセトの依代の特性だろう。
 全身を掻き撫でていく砂で体が傷つくこともなく、まるで水中に沈むような感覚で深く深く呑まれていく。

 目を開けるのはさすがに怖い。
 だが暗闇の中でも分かった。
 流れる砂の行き着く先――砂漠の地下に、混沌の気配がある。

 イスメトは砂の洪水に流されながら、どんどんその気配へと吸い寄せられていった。

「へっ?」

 不意に、浮遊感に見舞われる。
 足が何かに引っかかったかと思うと、急に流れが変わったのだ。

「どわあああああぁぁ――っ!?」

 イスメトはいつの間にか砂とともに垂直落下を始めた。
 地面に(たた)()けられるすんでのところでセトの操る砂が体を包み込み、落下の衝撃を緩和する。
 それでも腰を打ち付けて、イスメトは(もん)(ぜつ)した。

「おぅふっ!」
「ぷぶ?」

 数秒遅れて、小さくなったカルフが腹の上に降ってきた。
 危うく胃の中身が出るところだった。
 後方で待機していた彼女も、どうやら砂に巻き込まれていたらしい。
 体にくくりつけていた荷物は当然なくなっているが、()()はなさそうで安心した。

【なんだァ? こりゃァ……】

 顔を見合わせる一人と一匹をよそに、人身のセトは周囲を見渡す。
 セトの意志に呼応し、イスメトの背に縛り付けられた神器の刃が、赤く柔らかな光を広げた。

 薄ぼんやりと照らし出される視界。
 砂漠の下に現れたのは、巨大なドーム状の地下空間だった。


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