砂漠の下に突如として現れた巨大なドーム。

 レンガのように固められた壁面の構成物はすべて砂だ。
 しかし、ただの砂レンガではない。
 砂を一度溶かしてから固めたような、つるつるとした材質の何かで構成されていた。

「ど、どうなってるんだ? なんでこんな場所が――」

 神器を手に立ち上がるイスメトの耳を、カサカサと不快な摩擦音がくすぐった。
 瞬時に()退()く。
 周囲でうごめいているのは、巨大な黒い塊だった。

「わっ! ア、屍転蟲(アス・ワウト)!?」

 何十匹という甲虫の(  こうちゅう  )群れが、天井からサラサラと落ちてくる砂をひたすらに平らげている。

【寄るなゴミ虫が】

 セトが腕を払うと、バチィンッと赤い稲妻が()ぜて虫達を散り散りに吹き飛ばした。
 それでも、またすぐに集まって砂をむさぼり始める。
 襲ってくる気配はなかった。

「こ、ここってひょっとして……屍転蟲(アス・ワウト)の巣?」
【それにしちゃ、ちょっとした建築だな。粘液で砂を固めて天井にしてやがんのか】
「……セトより器用だ」

 イスメトが関心していると頭頂部に鈍い痛みが走った。
 セトの肘だった。

「ッ、痛い(  いった  )な! 文句があるなら口で言えよ!」
【避けねェオマエの自業自得だろが】

 なんだその暴論。

屍転蟲(アス・ワウト)は昔っからいる魔獣だが……こんな巣は初めて見るな】

 改めて見渡すと、大量の屍転蟲(アス・ワウト)が砂を食べることでこの空間を広げているように見える。
 まるで本当に建築にいそしむ労働者だった。

【ハッ、こいつァ面白ェ】
「え、えぇ……気持ち悪いだけだろ、こんなの……」
【よォく見な。ここの構造、見覚えねェか?】

 言われてイスメトは、気色悪い虫から空間全体へと意識を広げる。
 長い廊下。太い柱。ゆるやかな登り階段。
 その先に佇む( たたず )、四角い小さな建造物。

【神でも(あが)めてんのかよ。この虫どもは】

 そう、それはまるで神殿建築のようだった。
 イスメトが得体の知れない恐怖に唾を飲む一方で、セトは一切の躊躇な( ちゅうちょ )くその階段を上り始める。
 イスメトも渋々と後に続いた。

 階段を登りきると、通常の神殿ならば至聖所と呼べなくもなさそうな四角い小部屋に着く。
 奥には祭壇のような台と、神像らしきものまで見えた。
 が、イスメトはその像を観察する前に顔を背けることになる。

「っ、なんか……変な、臭い……」

 鼻と口を押さえて俯い( うつむ )た時、臭いの元が視界に映った。

「な――」

 絶句せざるを得なかった。
 床に大量の汚物が転がっている。

 青黒い粘液に包まれた、ぐちょぐちょの塊。
 屍転蟲(アス・ワウト)を見た後となっては、連想するものなど一つしかない。
 現に、その塊から飛び出たモノには五本の指があるように見えた。

 イスメトは必死に吐き気をこらえた。

【こいつァ……アポピス、か?】

 セトの苦々しい呟きに、イスメトは恐る恐る顔を上げる。
 祭壇に置かれていたのは、クネクネと体を何度も折り曲げた姿の、黒い蛇の彫像だった。

「……セト?」

 急にセトが姿を消した。
 かと思うとイスメトの体は勝手に動き、(やり)を振り抜く。

 砂を固めて作られた祭壇ごと蛇の像が切り裂かれる。
 何度も何度も。
 粉微塵(こなみじん)になるまでセトはそれらを(しつ)(よう)に切り刻んだ。

【――ハッ! こいつらは(にえ)ってワケか!? ()()が出る……!】

 セトに操られることで、不本意ながらも例の物体をじっくりと見ることになったイスメトは、さらにおぞましい事実に気付いた。

 ドロドロの球体が脈打っている。
 まるでまだ生きているかのように。

「【――()は灼熱。( しゃくねつ )飢えと乾きによりて命を砂へと(かえ)す者。今、秩序(マアト)に従い、この地に(とら)われし七つの魂を()じれた因果より解放せん】」

 セトはイスメトの口で歌うように静かに唱える。
 すると肉塊達は赤い光に包まれた。
 視界に入れるのもおぞましかったその醜き塊は、瞬く間に美しい()(はく)(いろ)の砂へと変わり、サラサラと崩れていく。

「何を……したんだ?」
【死者を死者らしく死なせてやった】

 ならばやはり、あれはすべて人間――
 それも、生きていたのだ。
 今の今まであんな姿で。

 体の主導権を戻されたイスメトは、目を固く閉じ、死者に祈りを捧げた。
 その内に湧くのは、悲しみ以上の憤りだった。

「……っ、なんでこんな! 何なんだよこいつら……っ!」
【その怒りには同感だ。今からここの虫どもを――いや、この砂漠中の虫どもを一掃する】

 セトは口調こそ静かだったが、赤くギラつく眼光は刃物よりも鋭利だった。

【こういった儀式には覚えがある。コイツらは〈荒神(すさがみ)〉を呼んでやがる……!】


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