その後、砂を食い散らかす虫達を手当たり次第に(たた)(つぶ)したイスメトは、ドームから横穴が続いていることに気付いた。
 ちょうど、人一人が通れるくらいの高さの穴だ。

「これが、正規の入り口ってことか……?」

 イスメトをここへ招き入れた穴は恐らく、セトが砂漠に神力を走らせたことによって生じたもの。
 今もなお流れ落ちる砂が、少しずつドームを満たしている。

 もはや補修を行なう虫もいない。
 このままにしておけば、そのうちドームは砂に埋もれて消えるだろう。

 一方で今見つけた横穴は、どう見ても最初から人が通ることを想定して作られたものだった。

【ハッ! つまりは虫どもを操って、この悪趣味空間を作り上げたニンゲンがいるっつゥこったな……!】
「一体、どこに通じてるんだ……?」
【そりゃ当然、ソイツの居場所だろうよ】

 イスメトは槍から虫の臓物を払い落とし、その柄を握り直す。
 迷いは無かった。
 槍の刃に(とも)る神の光は、炬火(たいまつ)の代わりにその行く手を赤く照らす。

「荒神を呼ぶ……って言ったよな。そんなこと、できるのか?」
【秩序に従う神ならば、決してニンゲンを供物になどしない。よって、祭壇にニンゲンを(ささ)げるという行為は『神への反抗』か、『秩序に反する者への信奉』を表す】

 イスメトは()(わい)(そう)な人々の成れの果てを思い出し、顔をしかめた。

「それって……この砂漠に住む誰かが、セトに(けん)()を売ってるってことか?」
【あるいは、この世界そのものにな】
「なんでそんなこと……! 一体誰が? 何のために!?」

 イスメトの語気が自然と強くなる。
 いつもは(たか)ぶるセトをイスメトがなだめるというパターンが多いが、今回は逆だった。

【落ち着け。いつの時代にも、この世を憎む感情は存在する。そこは特段、驚くことじゃねェ。そもそも(こん)(とん)自体、この世を憎むニンゲンの願いから生まれるワケだしな】

 イスメトは足を止めた。

「え? 混沌って、人間から生まれるのか……!?」
【あァー……そういや、説明してなかったか】

 セトは当たり前すぎて失念していたとばかりに、間の抜けた声を漏らした。

【知っての通り、神はニンゲンの願いを糧にしている。そしてそれは混沌も同じだ。オマエは感じたことねェか? 死にたい、消えたい、殺したい、この世が消えてなくなればいい――そういう鬱屈とした欲求】
「そ、そんなこと……!」

 ――ない、とは言い切れない自分を知っていた。

【だろうな。オマエはすぐに変な気を回して、ウジウジ悩むウジ虫だしな】

 イスメトはムッと唇を引き結ぶ。
 が、反論の言葉は出てこなかった。

「だから何だよ……」
【混沌――アポピスは、ニンゲンどものそういった願望を糧に育つ、れっきとした『神』ってことだ】

 イスメトの心臓が跳ねた。
 アポピスは動物や人間に取り()いて害を成す、人類の敵だ。
 しかし、それを生み出すのもまた人間の心だと、神は言う。

(やつ)の信仰には明確な形がない。神殿も、神話も、教典も、伝道者も、表向きには存在しない。ゆえに奴は、一つの確固たる神格を持てずにいるが――それでも、どんな神よりも根強くこの国に、世界に、何度も、何体でも、存在し続けている】

 死にたい、消えたい、殺したい、この世が消えてなくなればいい――
 そう無意識に考えてしまう人間がいなくならない限り、その破壊的願望を叶えるために混沌が生まれ続けるということか。

【アポピスをアポピスたらしめるもの――奴の持つ形なき巨大なその信仰体系を、神々は古くから『影の教団』と呼び、危険視してきた】
「影の教団……」
【それは形なきニンゲンどもの集合無意識であったり、時代によっては実際に構成された神官団であることもあった。いずれにせよ、世界の滅亡を望むそういった負の願いは、それを実現しうる神の顕現を待ち望んでいる】
「そ、それってまるで……」

 破壊神、と言いかけてやめた。
 その呼称をアポピスに用いることは、セトの何かを傷つけると思った。

「もし、その神が顕現してしまったら、この世界は……」
【さァてな。アポピスの腹ん中にスッポリ収まっちまうんじゃねェか?】
「そんな……! な、なんとかしなきゃ……!!」
【落ち着けっつったろ英雄っ子。()()そうなるってだけだ。そう簡単に世界は滅ばねェし、滅ぼさせもしねェ】

 セトは力強く言い切った。

【いまオマエが認識すべきなのは、この砂漠に、魔獣を操ってあんな儀式を行なえるほどアポピスを信奉してやがるニンゲンが存在するっつゥ事実。その一点だ】
「そ、そうか。ソイツを見つけて儀式をやめさせないと、オアシスにまたアポピスが……」

 どっちみち、落ち着いている場合ではないと思うのだが。

【問題を小さく分解しろ。まずはこの穴の先を確かめる。そして、あわよくば黒幕をとっ捕まえる。それが(かな)わなかったとしても、教団の手足となりうる魔獣どもを片っ端からブッ殺せば、儀式の妨害が可能だ】
「そ、そうか……そうだな。魔獣はどのみち、退治しなきゃいけないわけだし……」

 世界が滅ぶかも、なんていう話をするものだから焦ったが、やるべきことはいつもと大差ないらしい。少しだけ焦燥感が収まった。

【そォら、言ってるそばから終点だ】

 足下にばかり注意を払っていたイスメトは、セトの声に顔を上げる。
 永遠に続くかに思えた細道の先に、細く光が漏れていた。
 太陽の光に違いなかった。

「この先に……黒幕が……っ!」

 出口は木造の扉で塞がれている。
 押しても引いてもびくともしない。
 が、ふと下部にレールがあることに気付く。これは引き戸だ。

【貸せ】

 そう気付いたのも(つか)()
 結局、セトが力尽くでそれを蹴破った。
 木材に混ざって、小ぶりの岩がゴロゴロと転がる。
 自然物に偽装するため、扉の表面には岩が敷き詰めてあったらしい。

「眩し……っ」

 すっかり暗闇に慣れてしまった目が光に驚く。
 が、驚いたのは目だけではなかった。
 ようやく明るさに慣れ、その場所を確認したイスメトは言葉を失う。

「……え? ここって……!!」

 そこはオアシス一の戦士達が住まう、テセフ村の外れ。
 イスメトの故郷のすぐ近くにある、岩場の一角だった。


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