久々に訪れた故郷は、記憶通りののどかな空気に包まれていた。

 間もなく日が暮れる時間帯。
 一日の労をねぎらうためか、村の中心にある広場には人々が集まっている。その多くが戦士だった。

「イスメト……!?」

 その集まりにおずおず近付いていくと、誰かが声を上げた。
 そしてすぐに村の戦士長――アッサイが驚きと喜びをない交ぜにした表情で駆け寄ってくる。

「戻ったか! どうだ、調子は」
「う、うん……神殿の整備は、だいぶ進んだよ」

 イスメトは努めて笑顔を作る。

「……どうした? 何か問題か?」

 しかし、アッサイは表情を曇らせた。
 やはり彼には作り笑いなど通用しないか。

「アッサイ……実は、この村に――んんっ!?」

 イスメトは言いかけて、意図せず口を引き結ばされた。

【不用意に喋る( しゃべ )な】

 セトがイスメトの内側にだけ届く思念で(くぎ)を刺してきた。

(お前……っ! まさかアッサイを疑って!?)

【コイツをじゃない。この村に出入りする全員を、だ】

 あのおぞましい祭壇へ通じる道は、この村から出入りできるようになっていた。
 つまり黒幕はここにいる誰か。そう考えるのが自然だ。
 しかし理解はできても、この村で十五年を過ごした少年には受け入れがたい現実である。

【身内の所業であってほしくない――そんな願望で目を曇らせるな。すべての可能性を疑え。さもなくば、次に贄にされんのはオマエの知る誰かだ】

 嫌なことを言う。
 顔をしかめて俯く(  うつむ  )イスメトに、アッサイはますます愁眉(しゅうび)を寄せた。

「顔色が(ひど)いぞ……具合でも悪いのか?」
「な、何でもないよ。この村の近くを通ったから、寄っただけ」
「何でもないって、お前……」

 とてもそうは見えないのは自分でも分かっている。
 だが今はこう言う以外にない。

「アッサイ……最近、誰か……」

 いなくなったりしていないか。そう聞こうとした。
 だが、言葉は()()く続かなかった。
 今度のはセトの仕業ではない。心に自然と歯止めがかかったのだ。

 次の贄どころの話ではない。下手をすれば、あそこにあった肉塊それ自体が知っている誰かのものだったかもしれない。
 その可能性にこんなタイミングで気付いてしまった。

「お、おい……」
【やれやれ、さすがに疲労が(たた)ったらしい】

 アッサイが心配げに顔を(のぞ)()んできたところで、セトが姿を現した。

「! 守護神様……!?」

 背後を取られ反射的に身を翻したアッサイは、神の姿を確認して目を見張る。
 人身のセトは、そんな彼にも聞こえる声で言った。

【コイツには休養が必要なようだ。しばし、この村に滞在しようと思うが、構わんな】
「それはもちろん……むしろ皆、喜びます」

 アッサイは一度イスメトを振り返るが、神を無視するわけにもいかず、すぐに視線をセトへ戻す。

【西の砂漠を渡ってここまで戻って来たが――随分と虫の数が多かった。村に被害は?】
「そうですか、西でも……。実はこのところ屍転蟲(アス・ワウト)の目撃例が増えてやがるんです。我々も、村の防衛のために戻ってきたばかりなんですが、隣村ではもう何人か被害に――」

 セトは上手く話題を()らし、かつ必要な情報を集めていく。
 イスメトはその会話を後ろで聞きながら、一人思考を巡らせた。

 仮にこの村の誰かが闇の儀式を行なっていたとして――
 その人物を見つけたとき、セトはどうするだろうか。
 生かしておく、などという甘い選択肢は持たない気がする。

 だが、セトは直接、人間を手にかけることができない。
 イスメトの体を使わない限り不可能だ。
 それが秩序を保つための神々の決まり。

 つまり、最終的にその処遇を決めるのは――

(……っ! まだ、そうと決まったわけじゃない。落ち着け。問題を小さく分解しろ……ひとまず、今からすべきことは……)

「あれ? イスメト兄ちゃん!?」

 突然、甲高い声に呼ばれてイスメトはビクッと肩を跳ねさせた。
 振り返ると、外ハネの黒髪を短く切った少女が手を振っていた。
 顔の横では縄のように編まれた横髪が元気さを主張するように揺れる。

「兄ちゃん! いつ帰って来たんだ!? 久しぶりだなーっ!!」
「サ、サシェ……!?」

 屈託のない笑顔が走ってきて、飛びついてくる。
 以前はせいぜい自身の胸辺りまでしかなかった幼い少女の背丈が、鼻先にまで迫っていることに驚き、イスメトは目を瞬かせた。

【なんだオマエ、家族いたのか】
「いや、僕じゃなくて――」
「あ、おま――っ!」

 セトに説明するまでもなく、サシェの実兄が遅れて姿を見せた。
 少女の背を引っ(つか)んでイスメトから引き()がしたのは、少女と同じく黒い髪をした少年――ジタである。

「……なんでいんの」

 ジタは妹に()()()()()を取らせつつ、イスメトをじっとりと(にら)みつけた。

「なんで、って……帰ってきたから?」
「答えになってねー……」

 イスメトは苦笑いを返す。

「なんだよ兄貴! 今はサシェが兄ちゃんと話してんだぞ!」

 幸い、急いで言い訳を考える必要はなかった。
 ジタの後ろからサシェが不服そうに顔を出し、兄の注意を引いてくれる。

「お前な……! いつまでもガキじゃねんだ、人前で誰彼かまわずくっ付くな!」

 サシェはジタの四つ下の妹だ。今年で十二歳になる。
 家が近所で、イスメトは二人と昔から交流があった。
 そのため『兄ちゃん』などという、くすぐったい呼称が定着している。

「兄ちゃんはいいじゃん!」
「ダメだ」
「なんで!」
「男だから!」

 この回答はまずかった。
 ジタはサシェからの更なる『なんで』攻撃を受け、言葉を詰まらせる羽目になる。

 相変わらず、妹のしつけには苦労しているらしい。
 ジタが幾度となく矯正を試みていた彼女の乱暴な言葉遣いも、いまだ健在のようだった。
 もっとも、口調はジタ自身の影響だと思うが。

 兄妹の言い合いに、不意にぎゅるると間の抜けた音が割って入る。
 イスメトの腹の虫だった。

「きゃははっ! 兄ちゃん(すご)い音したー!」
「あ、はは……そろそろ夕飯の時間だね。僕はひとまず自分の家に帰るよ」
「あー、そのことなんだがイスメト」

 上手くこの場を離れる口実を得たはずが、アッサイの言葉に暗雲が立ちこめる。

「お前の家……ちと面倒なことになっててな」
「え?」

 イスメトが慌てて実家に駆けつけると、崩落した天井に押しつぶされた哀れな砂レンガの家屋が哀愁を漂わせていた。

「半年前の砂嵐でな。お前が戻る保証もなかったもんだから……」

 家主を失った家を手入れする義理など誰にもない。
 むしろ、建材や家具を盗まれることすらある。
 そうなっていないだけマシだった。

 だが、久々に戻った生家がこれだと思うと意外にこたえるものである。
 (ぼう)(ぜん)と立ち尽くすイスメト。
 その後ろで、少女が無邪気に提案した。

「そうだ! ウチに泊まったらいいんだ! なー、いいだろ兄貴!」
「は!?」「え!?」

 ジタとイスメトは同時に少女を振り返った。

「バッ――! なんで俺がコイツとメシを囲わなきゃなんねんだ!」
「えー、ダメ? なんで? 昔は一緒に住んでたのに」
「っ、いつの話してやがる!」

 それは十年近くも前の話だ。
 ジタら兄妹は父親を不慮の事故で亡くし、身寄りがなかった。
 そんな二人を、イスメトの父イルニスが家に迎え入れたのである。

 その後イルニスは他界してしまったが、それでも数年間は互いの家を行き来するような生活をこの二人は送った。
 とはいえ、ジタが魔獣退治などで食いつなげるようになってからは、そういうこともめっきり無くなったわけだが――

「ねー今日だけ! 一生のお願い~!」
「お前の一生は何回あんだ! 今年だけでも三回は聞いてやったぞ!」
「……ちゃんと聞いてあげるんだ」

 イスメトは思わず呟き、ジタに睨まれた。

「まあまあ、いいじゃねぇか青少年ども。こんな機会はもう何度もないぞ?」

 事態を(ほほ)()ましげに眺めていたアッサイが、少年らの肩に手を回し強引に引き寄せる。
 ニヤつくその顔が近付いたところで、イスメトは彼からほのかに麦酒の香りがすることに気付いた。

「歳取れば取るほど、友とは疎遠になる。特に異性とはな。()(わい)いサシェもあと二年もすれば成人だ。三人でワイワイできんのも今のうちだぞ? 兄貴ども」
「うっわ、ジジィかよ……つか酒臭ぇなオッサン!」

 師に向ける言葉とは到底思えない悪態をつきながら、ジタは腕を()(ほど)く。
 その黒い瞳はチラとイスメトを見た後、すぐに斜め上へと流れた。

「……守護神様も、来るんスか?」
【ア? 俺か? 俺はコイツに()いてくだけだが】

 脇で退屈そうにあくびをかましていたセトは片眉を上げ、ジタを見下ろす。
 すると、いつも仏頂面のジタが珍しく目を輝かせた気がした。

「じゃあ……手合わせ、してくれます? そんならコイツ、泊めてやってもいい」
【……ほォん?】

 セトはニタリと口の端をつり上げた。


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