【どうやらこっからは、手分けする必要がありそうだぜ!】
「手分けって――まさか、この人を殺すのか!?」

 イスメトはセトの指示の意味を再確認せずにはいられなかった。
 オベリスクでは、混沌の依代となっている魔猪(カンゼル)を真っ先に殺す必要があった。
 今もそれと同じ状況だと言うなら、自分の成すべきことは――

【俺は別にそれでも構わんが】

 セトは簡潔に言う。
 だが、相手は人間だ。混沌に操られているだけの、人間だ。

「他に方法は!?」
【ハッ。まァ、そう来るよな】

 セトは(あき)れたように吐き捨てながらも、代替案を提示する。

【呪具を壊せ。アポピスの本体はそこにいる】

 セトは言いながら、飛びかかってきたアポピスに回し蹴りを(たた)()む。
 そうすることで依代から、そして人々からアポピスを遠ざけた。

【そのクズ野郎はまだ呪具を介してアポピスと通じているだけだ! 助けてェなら、黒いアザが全身を回る前に呪具を奪え!】

 そう指示を出す間にも、セトはアポピスへ刺突の嵐を見舞っている。
 神力を纏った風が黒い巨体を巻き上げ、村の外へ吹っ飛ばした。
 セト自身も、驚異的な跳躍力でその後を追う。

 イスメトは神同士の戦いの気配を背にビリビリと感じながらも、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくるナムジを見据えた。

「黒い、アザ……」

 無骨な剣を握る青年の右腕は、ゆっくりと黒く無機質な色に変わり始めている。
 手首から肘、そして肩へとそれは広がりつつある。
 まるで剣と一体化するように。

「けひっ、けひひっ……」

 闇に(ゆが)んだ(そう)(ぼう)は、ねっとりとイスメトを()め上げた。

【コイツ……】

 アポピスに〈支配の杖(ウアス)〉を叩き込み、地へ縫い付けようと考えたセトは不快感に顔を歪める。

 アポピスは自らその身を二つに分かち、頭部のみで逃走を図った。
 まるでいつかと同じ。
 だが、状況はあの時と大きく異なる。

 地下遺跡で同じ挙動を見せたアポピスは『本体』だった。
 本体だからこそ身を守るため、近くにいた少女を盾としたのだ。

 だが、このアポピスは違う。
 これは化身だ。本体はあの呪具に宿っている。
 にも関わらず攻撃をせず、逃げに徹する理由は一つしか無い。

【こんのっ、クズ野郎がァァァァ――ッ!!】

 このアポピスは神にではなく、神が守るべき民に狙いを定めていた。

 民家の隙間を縫うように()(まわ)り、闇を吐き散らすアポピス。
 セトはその闇を雷撃で薙ぎ払いながら、再び生え出た蛇の長い体へと得物を叩き込む。
 それでもアポピスはけして神と(たい)()しようとはしなかった。

【ハッ、依代の影響か! 弱者にしか手ェ出せねェのかよ!】

 逃げることしか頭にない相手を、一所に(とど)めるのは困難だ。
 アポピスは変幻自在。トカゲの尻尾切りなどお手の物である。
 結果、セトは依代のみならず、逃げ惑う人々を守るために隣村を含めた広範囲を引っ張り回されることになった。

 これはもはや戦闘ではない。害虫駆除だ。
 それほどまでにコイツは程度が低い――
 そう神は内心、(あざ)(わら)った。

【こりゃ別の意味で厄介だぜ――オイ! 援護は期待すんなよ小僧!】

 一方のイスメトは、次々に繰り出される斬撃を柄で受け流している真っ最中だった。

 ナムジの動きに法則性を(みい)()すのは難しい。
 それは、彼がセトのような武術の達人だからではない。

 元は同じ流派の槍使い。だが彼は修行をサボってばかりいた。
 基本の型がまずできていない。
 その上、今の彼の得物はテセフ村の流派とは無関係な片手剣だ。

「これでお前を、超えられる! 皆に、認められる――!」

 滅茶苦茶だ。こんな動きを続ければ体が壊れる。
 いや、すでに壊れているのかもしれない。
 イスメトは黒く歪んだ双眸を(にら)みつけた。

「こんなので……っ、認められたりしない! これは、あんたの力じゃない!」
「ご高説どうも。でもそれなら、お前も同じだよなぁ……?」

 ナムジが空いているもう一方の手を振るう。
 すると彼の周囲を漂っていた闇のモヤが集い、槍のような形状を取った。

 (とっ)()()退()くイスメト。
 その眼前で、降り注ぐ無数の黒き槍が地を穿(うが)つ。

「お前だって、神の力に頼ってるだろうがッ! 俺は知ってんだ! オベリスクに行く前から、お前の中には神がいた! 俺を殴ったあの赤い目……! ありゃあ確かにあの神の目だった!!」
「……っ!」

 再び迫り来る凶刃をイスメトが受け、両者の力は(きっ)(こう)する。
 ナムジの腕力は先ほどよりも強くなっている。
 (こん)(とん)との一体化が進んでいるせいか。

「お前、とっくに神器を見つけてたんだろう? それを隠して、さも実力で(おや)()の仇を(  かたき  )討ったみたいに見せて……考えたなぁ、ズリィよなぁ!? 詐欺師のてめぇに俺を批難する資格なんかねぇはずだッ!!」
「……っ! そうかもしれない、けどッ!」

 イスメトは両腕に神力を込め、槍の柄を前に押し出して刃を(はじ)(かえ)す。

 敵の声に耳を貸すな。
 問題を小さく分解しろ。
 今、最もすべきことを再確認しろ。

「その力は無差別に人を傷つける! だから僕は、それを止めるッ!!」

 体勢をよろめかせるナムジ。
 イスメトはその懐に飛び込んだ。
 相手の右前腕を目がけ、槍を()ぐ。

(呪具さえ(たた)()とせば――!)

 その考えが大きな隙を生むことになるなどとは、夢にも思っていなかった。

「な――!?」

 リーチの有利があるにも関わらず、一歩踏み込んだのは温情があったからだ。
 彼の腕を切り落とす必要はない。ただ武器を奪えば良い。
 だから槍の先ではなく、柄で殴るために横薙ぎを放った。

 だが返ってきた手応えは、腕のそれでは到底なかった。

「ひゃははっ! お優しいよなぁ、英雄サマは……!」

 ガギンッと鈍い音を立てて、槍が腕に弾かれる。
 岩のように硬質化した黒き腕に。

「俺の腕ぇ、切り落とすのは()(わい)(そう)だって思った? ざぁんねんでしたぁ!」

 黒いアザは青年の体を変質させ、硬い鱗の(  うろこ  )ような表皮を形成していた。
 いや、それだけに(とど)まらない。
 肩や背からは肉食獣の牙を思わせるトゲのようなものが複数突き出し、青年のシルエットを人ならざる者へと変えていく。

「ああ、すげェ……神器を握るだけでどんどん力が(あふ)れてくる!」

 見ているこちらが痛みを覚えそうなほどに変形を始める肉体。
 だが当の本人は満足げに笑っていた。

「やっぱり、ズルだったんだな! 神器さえあれば俺だって――!!」
「違う! それは……その力は……!」

 イスメトの中にもまた、絶望という名の闇が広がりつつあった。
 黒いアザは早くも青年の首筋にまで達している。

【チッ! もう変化(へんげ)を始めやがったか】

 イスメトの目を通して状況を理解したセトが、思念で言葉を飛ばしてくる。

【小僧。手遅れだ】

 イスメトの(ほお)を冷たい汗が伝って落ちた。

【ソイツはもう、れっきとした()()だよ。つまり――分かるな?】
「……っ!」

 ナムジの背中から放射状に、五本の何かが生え出る。
 それらは硬そうな外皮と幾つもの節を持ち、なめらかに動いている。
 先端は(やり)の穂先を巨大化させたような形状。
 まるでサソリの尾のようだった。

 右手に握っていた剣――呪具は、もはや腕と完全に融合し一つの存在となっている。

【ヒャハッ……ヒャハハッ! オレハ、誰ヨリモ強イ! 誰ヨリモ――ッ!!】

 異形が笑う。思念と化した声なき言葉で。
 その声は、本来の青年のものよりも暗く濁った声と重なり、二重に響く。
 もはやそいつはナムジではなく、混沌そのものだった。

 蛇のようにうねる五本の尾がイスメトを八つ裂きにせんと襲いかかる。
 身を(ひね)って一本目を、後退して二本目を、跳躍で三本目を避けたが、着地と同時に襲い来る横()ぎの攻撃には対処しきれなかった。

「ぐ、ぅぅ――ッ!!」

 横手へ吹き飛ばされたイスメト。
 壁を粉砕しながら民家の中へと転がり込む。
 幸い住人は退避ずみで、それ以上の二次被害はなかった。

【オ、カ、エ、シ……ヒャハッ!】

 ナムジだった者は笑う。
 血色を失った暗く黒い皮膚――その上で白々と光る、空虚な瞳を細めながら。

【チッ――おいこのクソウジ虫野郎! へばってんじゃねェぞ!】

 セトが思念だけで(げき)を飛ばしてくる。

【魔獣の力は元になった生物に大きく依存する! ソイツは格下だ! とっととブッ殺せ!!】
「ぶっ殺す……」

 イスメトは神器を支えに立ち上がる。
 だが、その瞳には(かす)かに揺らぎがあった。

「く――っ!!」

 イスメトは追いすがってくる鋭利な尾を、槍で薙ぎ払う。
 赤き刃は軽々と黒い尾を半ばで切断し、地に転がした。

 だがナムジは笑っている。
 この程度では痛みすら感じないらしい。
 確かに彼は、もう人とは呼べないのだろう。

 イスメトは地を蹴った。
 尾は簡単に切り落とせた。ならば硬質化したあの体も、恐らく神器の刃ならば()(やす)く貫ける。

 ヌシの時とは違う。確かに彼は格下だ。
 相手を生かす必要がないなら――なるべく無傷で武器だけを奪うなどという高度なことを考えなくていいならば、勝てる。

 殺せる。 今の自分なら簡単に。
 赤子の手を捻るように。
 それが分かる。

(っ、殺す……!)

 見据える顔面には、見知った容貌が貼り付いたままだった。
 表情だって読み取れる。
 先ほどまでは普通に言葉だって交わしていた。

 名前も、過去も、知っている。
 人間だ。
 (まぎ)れもなく彼は、人間だった。

「ナムジ……っ!」

 さらにイスメトの心を揺さぶったのは、物陰から戦いを見守っている人々の声だった。
 その中には彼の父親である村長の姿もあったのだ。

 ――殺すのか? 彼を? 今ここで。家族の目の前で?

 イスメトとて頭では理解していた。
 彼を殺さなければ、もっと多くの被害が出るのだと。
 ゆえにその逡巡は( しゅんじゅん )数秒程度のものだった。

 だが魔獣と化した男にとって、その数秒は好機以外の何物でもなかった。

「ぅあ――っ!」

 間合いへ飛び込んだにも関わらず、攻撃の手を遅らせたイスメト。
 その体を三本の尾がからみ取る。
 そうして完全に獲物の動きを止めたところで、攻撃用に残された最後の一本がゆらりと立ち上がった。

「がは――ッッ!!」

 差し込まれた切っ先は、たやすくイスメトの腹を突き破る。
 腹部と口から飛び出すおびただしい量の血液。
 その赤と入れ替わるようにして、闇の濁流が接触部から少年の内側(たましい)へと流れ込んでいく。

「あ、ぐっ、あが、が……っ!」

 激痛と同時に全身へと広がる、存在そのものを浸食されるような恐怖と忌避感。
 見開かれたイスメトの瞳、その紫紺を、渦巻く混沌の闇が冒していく。
 イスメトの目が黒く(ひず)むと同時に、その視界は闇に閉ざされた。


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