「ナムジ君は想像以上の働きをしましたね。まさか、かの神をここまで弱らせてくれるとは」

 見知った医療神官は、日頃と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。
 しかし、その口から紡ぎ出される言葉は平時とはまるで違う。

「彼、君のことを逆恨みしていましたから……あれだけの憎悪があれば、呪具の力を引き出せるやもと――いやぁ、我ながら名案でした」

 イスメトは言葉を失う。
 感情が思考に追いつかない。

 テセフ村の誰もが、彼には世話になってきた。
 風邪や()()で治療を受けたこともある。
 彼が往診に来る度に、イスメトは幻覚のことを相談した。

 だから彼は、テセフ村を出入りしている人間の一人。
 あの闇の祭壇へ出入りできた、人間の一人。

「まさか……貴方があの祭壇を? 屍転蟲(アス・ワウト)を操って……」
「やはり、ご存じでしたか。虫達の気配が消えたので、おかしいと思っていました」

 返ってきたのは肯定としか取れない言葉だった。

「……一体、何が目的だ! オアシスを滅ぼすつもりなのか……!」
「ふふ……まあ落ち着いてください。こうして姿を現した以上、ごまかす気などありません。私はただ、我々の教義を貴方に知って頂くために参上したのです」
「教義……?」

 ザキールはどんな時でも外さなかった黒いフードを下ろし、その頭部をさらけ出した。
 イスメトは目を疑った。

 彼の頭部には、黒くて太い巻き角のような何かが生えている。
 それは耳の裏から後頭部を覆う髪のように後ろ首まで伸びる。
 彼のその風貌は、異形へと変貌したナムジの姿を連想させた。

「我々は呪われし日陰の一族〈夜の民(ゲレフ)〉。といっても、この名は一族の間でしか知られてはいません。なぜなら、君達のような秩序側の人間は、我々を下等な獣と同列に並べてこう呼ぶからです――魔獣、と」
「魔獣……!? それじゃあ、貴方は混沌に――」

 混沌に憑かれた人間の、成れの果て。
 だがザキールの振る舞いはあまりにも普通の人間だった。
 正気を失ってもいなければ、混沌に操られているようにも見えない。

「これは生まれつきのものですよ、イスメト君。我々は、そういう()()なのです」

 ザキールはどこか寂しげに笑った。

「混沌により呪いを受けた我々は、ずっと時代の片隅に追いやられてきました……何百年、何千年と。権利を認められず。ヒトと認められず。魔獣だ悪魔だと、罵られ続けた。宗派が分かれてからは、同志であったはずの〈砂漠の民〉からすらも、追放された」
「宗派……? 同志、って……」
「そうですね……少し、古い神話(れきし)を語りましょうか。主よ、こちらへ」

 ザキールは手を差し伸べる。
 エストは一切の躊躇な(  ちゅうちょ  )く、イスメトから離れてその手を取った。

「お話するの? 必要なこと?」
「ええ、大事なお話です。分かり合えるならば、争う必要はありませんから」
「そっかー。じゃあ待ってる」

 エストはザキールの言葉に頷く(  うなず  )と、祭壇の上に腰掛けて足をぱたぱたと前後に揺らす。
 その仕草がエストそのものすぎて、イスメトは少なからず動揺した。

「かつて、この世界には楽園(アアル)と呼ばれる体制――秩序が存在しました」

 神の了承を得たザキールは語り出す。
 それは古き時代における、神と人の物語だった。

楽園(アアル)。神々の力を結集して作られたその巨大な結界の中では、選ばれた人々が平和に暮らしていました。

 一方で、その楽園の外側には混沌が(あふ)れていた。
 我々の祖先は、そこで生きることを強要され――混沌に侵された大地によって呪いを受けたのです。私のこのような容姿も、その名残と言えます。

 楽園の外側を管理する神々は皆、混沌と戦う力に優れた戦神でした。
 彼らがその力をして、我々を守護してくれていたことは確かでしょう。しかし、その神々ですら、この仕組みそのものを変えようとはしなかった。誰もが少数の犠牲をやむなしと捉えていたのです。

 ――とある一柱を除いては。
 私たちの伝承は、それが貴方の中におわす神だと告げています。

 我々の祖先、そしてあなた方の祖先は、ともに楽園システムの犠牲者――選ばれし民を生かすためだけに使役され、消費される側の人間でした。ゆえに手を取り合い戦ったのです。
 不平等な世界秩序を破壊するための同志として。かの神と共に。

 かの神は、神々の構築した秩序(マアト)に反し、旧世界の構造を破壊しました。見事、革命を成し遂げられたのです。そうして楽園の外側にうち捨てられていた我々にも、新たな世界をお示し下さった……」

 ザキールの語る歴史は、現代に残るセトの信仰と一致する。
 破壊神の側面と、英雄神の側面。
 そのどちらもが本物の神話だったのだとしたら(つじ)(つま)が合う。

 しかし一方で、理解できないこともあった。

「それが……それがどうして、混沌を(あが)めることに(つな)がるんですか! 貴方のその体が混沌に呪われた証な(  あかし  )ら……アポピスは貴方の一族にとっても憎むべき敵のはずです!」
「ふふ……結論を急がないことです。貴方は不思議に思いませんでしたか? なぜ、かの神の半身が混沌と一体化しているのか――」

 ザキールは不出来(ふでき)な生徒を諭す教師のように、優位的な笑みを見せる。

「簡単なお話です。それは単純に、かの神を信仰する民の中に、それを望んだ者たちがいたからです。その思想の違いゆえに、我々は〈砂漠の民〉と袂を(  たもと  )分かつことになりました」

 イスメトは当惑する。
 望んだ? セトとアポピスが融合することを?
 一体、何のために?

「先ほどは『呪い』と表現しましたが――〈夜の民(ゲレフ)〉の中では、あまり一般的な表現ではありません」

 ザキールは顔の横から生え出る自身の角を、(いと)しそうに()でた。

「この呪われし体は『祝福』――混沌の神が統べる世界において唯一、我々こそが『選ばれし民』であることを示す証なのです」

 細められたその瞳には、憎しみの(かけ)()もない。
 むしろ陶酔していた。崇めていた。

「我々は、我々こそがヒトとして認められる世界を――『選ばれし民』となれる世界を新たに作る。そのために、この世の秩序を今度こそ破壊しつくし、新世界を(つく)り上げることのできる創世の神が必要なのです」

 アポピスに世界を破壊させ、その後に新世界を創る――
 馬鹿げている。
 そんな考えは突飛な妄想にしか聞こえない。

 アポピスにそんな意志はない。
 取り()いた生物の魂を乗っ取り、歪め、操るだけだ。
 そうして破壊活動に加担させる。

 塔のヌシも、ナムジも、エストも――皆、そうだった。

「そんなの……無茶苦茶(むちゃくちゃ)だ! アポピスは創世神なんかじゃない! あいつはただ世界を食い尽くそうとしているだけで――」
「ええそうです。だからこそ、我々は望んでいるのです。確固たる神格・意志でもって混沌を操り、我々を導いて下さる、真の神の降臨を」

 イスメトは息を()んだ。
 ザキールの言わんとすることがようやく分かった。

「まさか……」

 混沌が神の意志を模倣したとしたら。
 それはもはや『新たな神』と呼べるのかもしれない。

「貴方が現れるまでは、すべて順調に進んでいたのですよ。長い年月をかけ、我々はセト様の()()()神話を各地に広めました。そうして降臨の条件を――セト様を〈荒神(すさがみ)〉として復活させるための準備を進めてきた」

 イスメトの中で、バラバラだった情報の破片が一つの形を作り上げていく。

「ですが、貴方がかの神を見つけた時、誤算が生じました。どうやら神は我々の意に反し、二つに分かれてしまったようなのです。しかも、分離した側の神格が、本来の神格を封じ込めるという二重のアクシデントに見舞われた」
「な……!?」

 それではまるで、エストの中に封じられた半身こそが本来のセトだと言っているようなもの。

「そうだよ、イスメト」

 イスメトの嫌な想像を肯定するように、それまで黙っていた少女が口を開く。

「キミの中にいるソイツが、神にとって一番大切な『意志』や『闘志』といった部分を、ボクから引きちぎって持って行ってしまったんだ。お陰でボクは、こうして他人の人格を借りることでしか自ら動くことのできない、ただの混沌と同類になってしまった」

 少女は祭壇から飛び下りると、一歩また一歩とイスメトに歩み寄ってくる。
 幼馴染みと少しも変わらない、穏やかな笑みを浮かべて。

「だからね……? 返して欲しいんだよ。ボクの神格を」
「ち、近寄るな!」

 イスメトは咄嗟に神器を少女へと突きつけた。

(ひど)いなぁ、ボクとキミは友達でしょ? ボクはキミを傷つけたくないんだ。本当だよ?」

 少女の顔が悲しげに(ゆが)む。
 頭では分かっていても、イスメトの胸がチクリと痛んだ。

「キミはただ、『依代契約を破棄する』って言ってくれればいいんだ。そうすれば、ボクがそれを承認して、ボクとアイツはヒトツにナル。あるべき姿に戻ルンだよ」

 ()(ごと)だ。
 コイツがセトの本体? そんなわけがない。

「キミだって、依代の重圧から解放されたいでしょ? そのために旅をしてきたんだよネ……?」
「違う! お前はエストじゃないし、セトでもない! アポピス――(こん)(とん)だ! お前にセトは渡さない!」

 セトは世界の滅亡も、混沌に満ちた新世界も、人々の犠牲も――何一つ望んでいない。
 いないはずだ。

「渡さない? ふふ、違うよイスメト」

 構えた槍は少女を捕捉する。
 だが、突き出すことは、できない。
 彼女の体を、傷つけるわけには――

「キミの中にいるセトは、まかり間違って秩序側に転生してしまったボクの一部に過ぎない。つまりはキミたちの方こそが――異端者(イレギュラー)なんだよ!」

 少女の体から再び闇が放出される。
 イスメトは神器を振るい、あるいは回転させて、それらを打ち払う。

「無駄だよイスメト。キミ程度の力じゃ、エスト(ボク)から混沌(ボク)()()がすことなんかできない」

 イスメトの焦りを見透かすように、混沌を生み出し続ける少女は勝ち誇った笑みを浮かべる。
 払っても払っても、飛びかかってくる闇の群れ。
 それは打ち寄せる波のようにイスメトの足を鈍らせ、少女への接近を阻止する。

「知ってるよ。こうなった以上、キミに抗う(  あらが  )術なんかない」

 不意に、無邪気な瞳が目の前に現れた。
 闇の波の上を滑って、少女がイスメトに飛びついてくる。
 それはまるで、愛する者にする抱擁だ。

 隙だらけだった。
 今なら神器を突き立てることができるに違いなかった。
 でも――

「だって、キミはボクを殺せない。そうでしょ?」

 無邪気に笑う。
 たとえ混沌に取り()かれていたとしても。
 目の前にいるのは、ずっと助けたいと願っていた幼馴染みの少女に違いない。

「キミは、ボクのことが――好きだから」

 全身を駆け巡る焦燥とは裏腹に、凍り付いたように動かない体。
 少女の細い腕が、首筋へ優しく巻き付く。
 そして唇に、柔らかい感触が触れた。

 それは少年を闇の(しん)(えん)へと導く、死の(せっ)(ぷん)

「ああ、なんて美しい光景なのでしょう」

 少女から生まれた闇の奔流が、燃え上がる業火のように二人を()()んでいく。

「大神官も随分と余計な手間を増やしてくれましたが……あの娘を神の器として完成させていたことだけには、感謝しなければなりませんね」

 その光景を眺めながら、男は(こう)(こつ)(ほお)を緩めた。

「これこそ、神話に刻まれるべき始まりの物語」

 男はその場に跪き( ひざまず )、祈るように天を仰ぐ。

「二つに分かたれていた神は今、少年と少女を介して再び一つに戻り、そして生まれ変わるのです――復讐と革命の旗振り役として!」


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