「イスメト君? もう、どこ行ったの!?」

 その夜。
 メルカは夕食時になっても戻らない少年を心配し、一人テントを抜け出した。

 訪れたのは、戦士達の野営地である。
 詳細は語ってくれなかったが、イスメトはどこかの戦士の村の出身だと道中で話していた。
 ここに同族が集っていると知り、顔を出しに行ったのかもしれない。

「こんばんは! ちょっといいですか?」

 メルカは()()(そば)(やり)を手入れしている少年に声をかけた。

 塔に挑む戦士ばかりなだけあってか、こちらの野営地には心なしかピリピリとした空気が漂っている。
 それでも、(とし)の近い相手ならいくらか話を聞きやすいだろうと踏んだ。

「……何? 商隊の(  キャラバン )人?」

 黒髪黒瞳(こくとう)の少年は、鼻の頭の傷を()きながら(めん)(どう)そうに返す。
 早くあっちに行けと言わんばかりの眼光だ。
 メルカは負けじと、営業スマイルを盾に話を切り出した。

「はい! 実は人を探していまして。ちょうどアナタぐらいの年頃の男子なんだけど――」
「知らない」

 が、尋ね人の特徴を言い終わる前に一蹴される。
 はなから聞く耳がなさそうである。

「そ、そっかぁ残念! 砂色の髪に紫の目をした人……だったんだけど」

 これは脈なしと判断し、メルカは次の聞き込みへ移ろうとした。

「――っ!? 砂色の髪!?」

 だがその時、少年が急に態度を変える。

「おい! そいつ、槍を使うか!?」
「えっ……」
「名前は!?」

 思わぬ食いつきにメルカは面食らう。

「イ……イスメトっていう人。もしかして、知り合い?」
「そいつ今どこにいる!?」

 少年は問いには答えず、親の(あだ)でも見るかのような形相でメルカを(にら)んだ。

「だ、だから探してるんだってば! アナタ、話聞いてなかったわね!?」
「この近くにいるのか!?」
「そのはずよ。もしかしたら入れ違いでアタシらのテントに戻って――あっ、ちょっと!?」

 言い終わらぬ間に少年は走って行ってしまった。
 恐らくは商隊の野営地に向かったのだろう。

「もう! なんなのよ……!」
「なあ、そこの嬢ちゃん」

 残されたメルカが憤慨していると、今度は近くのテントから男が顔を(のぞ)かせる。

「今の話、詳しく聞かせてくれないか」

 現れたのは三十歳前後の男性だ。
 (ほお)に変わった入れ墨がある。
 上半身には一糸まとわず、戦士の勲章とも呼ぶべき傷だらけの屈強な肉体をさらしていた。

「今の話って……イスメト君の?」

 聞けば男はイスメトと同郷で、一年前に行方をくらませた彼を心配していたのだと言う。名はアッサイと言った。
 いかつい外見とは裏腹にその物腰は穏やかで紳士的。
 チラと視線をやると、左薬指には指輪が見えた。

 メルカは焚き火の前に腰を下ろす。
 そして、自分達の旅の一部始終を語ることにした。

(すご)いんですよ彼。屍転蟲(アス・ワウト)魔狼(ゼレヴ)の群れも、まるで全部の動きが見えてるみたいにバッタバッタと無傷で倒しちゃうんです!」
「ほう……あいつがねえ。そりゃ大したもんだ」

 特に出会い頭の大乱闘を熱く語って聞かせると、アッサイはいたく感心したように(ほほ)()む。

 その反応を見て、メルカはつい自分のことのように得意になった。
 しかし、すぐに後悔した。
 そんな話を軽々しく、この場で言いふらしたことを。

「だっははは! いくらなんでもそりゃ盛りすぎだぜネーチャン!」

 品のない笑い声を飛ばしてきたのは、近くで話を盗み聞いていたらしい青年達。アッサイと同じ入れ墨が、首や肩などに見て取れる。
 どうやら彼らも、イスメトと同郷の戦士らしい。

「それな! アイツに限ってそんな、なあ? 魔狼(ゼレヴ)相手に腰抜かす()()けだし」
「武術大会なんて……ププッ! ありゃ前代未聞だったよな!」
「な、なによ! 見てもいないのに決めつけないでくれる!?」

 恩人を(けな)されて良い気はしない。
 つい反論するメルカだったが、男達は取り合わず口々にイスメトの過去の失態をあげつらって勝手に盛り上がっている。

「――良いご身分だな、お前ら」

 その彼らが一斉に口を閉ざしたのは、アッサイの静かな、しかし腹まで震える怒声が響いた時だった。

「その腑抜け相手に、一度でも白星をあげたことのある(やつ)がこの場にいるのか? ん?」
「そ、そうは言ってもよぉ師匠! 俺ら、魔狼(ゼレヴ)相手に逃げた事なんてねーし!」

 諭されてもなお、やいのやいのと文句を垂れる弟子達。
 アッサイはそれらを涼しい顔でかわし、メルカに移動するよう促した。

「すまんな、つまらん場所に引き留めて。夜も更けるし送っていこう」
「――チッ、師匠はいっつもああだ。アイツが英雄の息子だからってヒイキしやがる……!」

 イスメトの――恐らくは兄弟子か何かなのであろう青年が忌々しげにぼやく。
 それを背中で聞きながら、メルカはぷりぷりと帰路についた。
 
 
■ ■ ■
 
 
 朝の光を瞼越(  まぶた )しに感じ、イスメトはゆっくりと目を開く。
 全身を包むサラサラとした柔らかい感触。
 感覚はそれを心地よいと感じながらも、理性は違和感を訴えている。

「――んはっ!? 砂!? 外!? えっ、砂漠!?」

 イスメトは砂漠のど真ん中で一夜を明かしていた。

 砂漠の夜は極端に冷える。外で寝るなどもってのほか。
 安眠するどころか永眠の危機である。
 魔獣に出くわす恐れもあるというのに、よくここまで爆睡していられたものだ。

(……僕、どんどん感覚がおかしくなってきてないか?)
【ククク。そりゃァ、体が俺の力に()()んできた証拠だ】

 寝起き頭に直接響く声は煩わしいことこの上ない。
 しかしセトはお構いなしに続けた。

【砂の上は心地よかろう? 疲労も痛みもすべて吹き飛ぶほどに】

 言われてみれば体が軽い。
 昨夜はセトに直接しごかれて疲労困憊(ひろうこんぱい)し、倒れるように眠ってしまったはずだが、それもすべて夢だったのかと疑うほど今の体調は万全だった。

「……これも、セトに()()かれてるせい?」
【砂漠は俺の力を高める。当然、俺の肉体(うつわ)であるオマエの回復力にも影響する。下手な薬よか効いたろォ?】
「確かにこれは……いいなぁ……」

 再び砂に体をうずめると、二度寝の誘惑に襲われた。
 まるで揺り籠の中、柔らかな布に包まれているかのような。

【アホ。流石(さすが)に戻るぞ。商隊の奴らに怪しまれる】
「――って、そうだよ! 何やってるんだ僕は!」

 砂漠の魔力、恐るべし。

 イスメトは起き上がり、砂をはたいて急いでオアシスへと引き返した。
 道中、砂に混ざってあちらこちらに岩の破片が転がっていることに気付く。

 やがて砂だけの景色は一変。
 オアシス方面へと少し歩いただけで、山岳地帯特有の無骨な岩山が目立ち始めた。

 (とりで)のように並び立つ岩山。
 その内の一つを見て、イスメトは足を止める。

「これは……そうだ昨日、僕が……」

 眼前に佇む(  たたず  )のは一つの巨岩。
 真ん中に大きな風穴を空け、今にも崩れ落ちそうだ。

 イスメトの脳裏に、昨夜の修行風景が浮かび上がる。
 セトに負け続けるだけの試合を延々と繰り返して。
 その最後に、ようやく体得した神術。

 それが、この岩を(えぐ)った。

【ハッ! それもこれも俺様と神器の力だがな! オマエが散々馬鹿にした、その神器のな!】
「わ、分かってるよ……! 悪かったって!」

 イスメトの手には穂先を例の無骨な金属塊に取り替えただけの、いつもの槍が握られている。

 そう、これは神器のお陰で成せたことであって、実力ではない。
 それでも――
 いや、だからこそ今さらながらに震えた。

 自分が手にした力。
 セトの力の大きさに。

(本当に……いいのか? 僕がこんな力を(もら)って……)

 また一つ、イスメトは腹に重しを抱えた。
 
 
■ ■ ■
 
 
「あっ、イスメト君……!」

 野営地に戻ると、最初にメルカの困ったような視線が飛んできた。

「勝手に留守にしてごめん……護衛なのに」
「う、ううん。無事でよかった、けど……」

 メルカは小走りで近寄ってくる。
 どうにも落ち着かない様子である。

「今は……戻らない方が、よかったかも」

 メルカが言い(よど)んだ理由は、すぐに判明した。

「おっ、いたいた。おい皆ー! 本当にいたぞアイツ~!」

 メルカのテントから、ほどよく筋肉質な青年達がぞろぞろと出て来た。


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