「セト――ッ! やめろ!」

 気付けば右手(セト)(やり)を振りかざし、腰を抜かした男の脳天へ切っ先をぶち込もうとしている。

「ひ、ひぃっ!!」

 しかし、間一髪。
 イスメトの力が加わって槍の狙いは()れた。
 両足の間に突き刺さった槍を見て、ナムジは悲鳴を上げる。

 辺りはますますどよめいた。

「ヤロッ! よくも!」「やっちまえ!」

 色めき立った彼の仲間達も槍を構える。
 イスメトは反射的に得物を振り抜いて牽制(けんせい)した。

 最初に飛びかかってきたのは斜め後ろにいた男。
 死角からの攻撃で優位を取るつもりだったのだろう。

 だが甘い。

 ザリッと砂を踏みしめる音を聞くや、イスメトは振り向きざまに石突を(たた)()む。

「ぐあっ!」

 己の繰り出す切っ先よりも圧倒的に早く届いた刺突に肩を弾かれ、青年は転倒した。

 イスメトはその勢いのままに体を一回転。
 (きよう)(げき)を仕掛けようと動く前方の二名にも、遠心力を上乗せした(よこ)()ぎをお見舞いする。

「いでっ!?」「んあっ!?」

 その一閃(いつせん)は軽々と、両者の手から得物を(はじ)()ばした。

「は、速……!」
「な、なあ、やっぱりやめた方がいいんじゃ……!」

 その二名はそれで戦意を喪失したかに思われたが――

「……っ、クソがあ!!」

 肩に一撃をもらった一名は黙っていない。
 槍を拾い、我武者羅(がむしやら)に突撃を仕掛けてくる。
 その姿に感化されたか、後の二名も続いた。

(っ、こうなるから嫌だったのに……!)

 イスメトは()()みする。
 その苛立ちは目の前の不良にではなく、己の内側へと向いていた。

(お前が手を上げたんだ! 責任取れよ! なんで僕にやらせる!)
【ハッ。責任、ねェ……】

 セトはさっきから何もしてくれない。

「お前達! そこで何をやっている!」

 小競り合いが闘争へと発展しかけた丁度その時。
 両者の間に割って入る男がいた。
 その声を聞いただけで、槍を持つ全員の肩がビクンと跳ねた。

「あっ、アッサイさん!」

 メルカの声が決定打となり、イスメトの体は凍り付く。
 アッサイはそんなイスメトの横を通り過ぎ、まだ地面でへたり込んでいる青年の前で止まった。

(いて)ぇ……痛ぇよぉ……っ!」

 ナムジは顔を押さえ、なおも情けなく(うめ)いている。

「師匠ぉ……アイツが先に手を上げたんだ! 仇を(  かたき  )取ってくれよぉっ!」

 アッサイは嘆願する男の前に膝を突く。
 そして間髪入れずにそのへしゃげた顔を殴った。

「ぐべぇッ! ……ち、違うぅ……俺は何も悪く……っ!」
「いい加減にしろ! 村長の頼みでなければお前など、誰が面倒見るものか!」

 ナムジは力無くうな垂れた。
 アッサイは彼の取り巻き達も言葉少なに叱り、そのまま一同を引き連れて去って行く。

「ぁ……アッ、サイ……」

 ほんの一瞬。イスメトと彼の視線が交わった。
 言葉はない。笑顔もない。
 もはや自分など存在しないかのように、男は隣を素通りした。

「……っ!」

 分かってはいた。
 自分があの日、親友(ジタ)にしたことを思えば当然の対応だと。
 それでも、兄同然に慕う彼に無視されるのは、不良達の罵倒などよりも相当に堪えた。

 アッサイはイスメトの武術の師。
 そしてイスメトの父、イルニスの一番弟子だった。
 両親亡き後は特に、何かと世話を焼いてくれた男でもある。

 天涯孤独の少年に唯一残された家族――
 そう表現してもいいかもしれない。

「……すまなかったな嬢ちゃん。迷惑をかけた」
「えっ……いや、アタシは……」

 去り際、アッサイはメルカや商人達にだけ()びを入れた。
 そのためメルカも、彼がイスメトを避けていることに気が付いた。

「どうして……? 昨日はあんなに……」
「――っ!」
「あっ、イスメト君!」

 イスメトは(たま)らず駆け出した。
 一秒たりとも、この場に(とど)まっていたくなかった。

「……っ、なんで……」

 走りながら、頬を伝い落ちる何か。
 メルカに見られなくてよかったと心底思う。

「僕は……()()く……やり過ごそうとしたんだ……!」

 それでもコイツには見られている。
 きっと胸の動揺も、痛みも、全部筒抜けだ。

「なのに!! なんで、あんなことした――ッ!?」

 湧き上がる怒りのままに、イスメトはセトに怒鳴る。
 しかし、セトは答えない。

「心が読めるからって勝手に……! ヒトの気持ちを、代弁するなよ……ッ!!」

 やがて砂漠にさしかかる。
 不自然にまとわりつく砂に足を取られ、イスメトは派手に転んだ。

 だが痛みなど分からない。
 腹の底から湧き上がる激情以外に、今は何も分からない。

「お前には! 関係、ないだろ……ォッ!」

 (たた)()ける拳は、渇いた砂を弾く。
 何度も。何度も。砂は(むな)しく飛び散る。
 やがてその拳が止まった時、セトは静かに口を開いた。

【俺は、オマエの願いに沿ってやっただけだ】
「……願い?」
【なりてェんだろう? 親父(おやじ)みたいな戦士に】

 それとこれと、何の関係があるのかと問いただす前に。
 セトは決定的な問いかけを少年に突きつける。

【それともオマエの願いってのは、口先だけなのか?】
「……っ! そんな、わ、け……」

 無いと言い切れない自分が、心のどこかにいた。

【テメェの最も大事なモンを(けが)されてよォ……何も言わねェ、殴りもしねェ!! それがテメェの考える誇り高き戦士ってヤツかと聞いてんだよ、アァッ!?】

 気付けば目の前にセトが姿を現している。

【戦士を名乗る前に『男』になれや! 他人の思惑に()びへつらってんじゃねェぞ!】

 胸ぐらを(つか)まれ、イスメトの体は浮かび上がった。
 いつもならここであの凶悪な顔を、赤く光る眼光を、せめてもとまっすぐ見据えるのに。
 なぜだろう今日は、顔を背けることしかできない。

【いいか! 俺は何一つ、テメェの不利益になるようなことはやっちゃいねェ!】

 セトの目を、見ることができない。

【さっきの俺の言動に怒りが湧いたとするなら――それはテメェが、テメェ自身に抱いた怒りだ!】
「……っ!」

 直後、砂に思い切り(たた)()けられた。
 だが痛みなど分からない。
 胸の奥から締め付けてくる鬱情以(  うつじょう  )外に、今は何も分からない。

【ハッ……まァた黙り(  だんま  )かよ】

 セトは(あき)()てたように呟く(  つぶや  )と、腰をかがめてイスメトに顔を近づける。
 (いま)だ動かず、起き上がろうともしないその頭を(わし)づかみ、グリグリと砂に押しつけながら。

【よォ小僧。俺はな、ずっと考えてた。今後もオマエを鍛え上げていくか……それとも、もっと張り合いのあるヤツに乗り換えた方が得か、とな】

 セトは立ち上がりざま、イスメトの手に力無く握られていた粗末な槍――神器を奪い取る。

【……そろそろ答えが出そうだぞ? ン?】

 その目が、全身が、ひときわ赤く光をまとったかと思うと、人身の姿は()き消えて槍だけが宙に浮かび上がった。

【俺はしばしこの槍に宿る。オベリスクにはお前とじゃなく、次にこの槍を引き抜いた者と行くことに決めたぞ】

 イスメトはようやく身を起こした。
 神器を見つめるその目には、いつにも増して覇気がない。

【ここまで付き合わせたよしみだ。誰が抜こうと娘のことは助けてやろう。特例中の特例でな】

 それは温情のようでいて、その実そうではなかった。
 セトはイスメトから最大のモチベーションを奪ったのだ。
 もう、臆病な少年が一人の少女のためだけに頑張る必要はなくなってしまった。

【少しだけ時間をやる。テメェの腹で結論を出すことだ】

 風が嵐のごとく吹き荒れ、渦を巻く。
 それはやがて爆発し、中心にあった槍を飛翔(ひしよう)させた。

【――俺は別に、()()()()()()()()()()()()()んだ】

 槍は流星のごとく、オベリスクの方角へと飛んでいった。


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