(もろ)(もろ)の準備や手配を終え、イスメトは旅立ちの日を迎えた。
 特にセトは、今後のオアシスの防衛や自警団の編成について、戦士達にあれこれと指示を出していた。

「イスメト。これは俺達からの選別だ」

 出立前。イスメトは見送りに集まった人々からある贈り物を受け取った。
 歩み寄るアッサイの手に握られているのは、一条の(やり)
 その柄の先には、見覚えのある赤いボロ布が結びつけられている。

「! これ……!」
「イルニスさんの砕けた槍と、商人達に集めてもらった素材を元に、村の職人達が(たた)き直したものだ。持って行け」

 セトの〈支配の杖(ウアス)〉を参考にして作ったのだろう。
 口金(くちがね)の部分には例の動物頭の装飾が加えられている。
 刀身は白金(しろがね)色に美しく輝き、まるで月の横顔のようだ。

【ほォん、こいつァ良い出来(でき)だ。神も目を見張る品だったと、その職人に伝えておけ】
「そりゃ幸いです。(もっ)(たい)ないお言葉と、職人達も喜ぶことでしょう」

 いつの間にかセトも姿を現していたが、もはや驚く者はいない。
 神がその手を槍にかざすと、バチバチと稲妻が走り、刀身が赤く染まっていく。
 周囲から歓声が上がる。ただの槍が神器へと変わった瞬間だった。

【んじゃ、コイツはもう用済みだな】

 セトはイスメトの背から粗末な槍を勝手に抜き取ると、見送りに集まる一同を品定めするように見渡した。

【コイツは、そうだなァ……】

 ひょいと投げられた槍は綺麗な放物線を描き、黒髪黒瞳をした少年の足下に突き刺さった。

【くれてやる。一応それでも俺の神器。オマエの頑張り次第では力を引き出せるかもな】
「は……」

 ジタは放心したように、しばしその槍を見つめる。

「なんで……俺に?」
【男が強くなる上で、重んじるべきは師ではなく好敵手(ライバル)――俺はそう考える】

 瞬間、ジタとイスメトの視線が交わった。

「……、望むところだ!」

 ジタは意を決したように手を伸ばし、『旧神様の神器』を引き抜く。
 それを見た周囲の男達は好き好きに(はや)()てたが、ジタはにこりともせずにイスメトだけを睨んでいた。

【あとは、いつかの決闘に水を差した()びだ】
「決闘? ……あ゛っ!?」

 唯一、神のその言葉にだけは目を見開いた。
 ジタが何か言いたげに口を震わせている間に、セトの姿は風に()()え、今度はイスメトの横に現れる。

【あとは足が必要だ】
「足……って、(らく)()がいるじゃないか」

 傍らにはメルカ達に見繕ってもらった荷を積み終わり、旅立ちを待つ駱駝が二頭控えている。
 いぶかしむイスメトをよそに、セトは指笛を吹いた。

「おわわっ!? な、なんだ!?」

 途端、足下の砂がもぞもぞと動き始める。
 視線を落とすと、砂の中から長い管が伸びてイスメトの足に絡みついていた。
 魔獣か――と身構えたのも(つか)()

「ぶぷーぅ」

 気の抜ける声と共にどこかで見たような珍獣が太い前足で砂を()いてノソノソと姿を現した。

「きゃっ! なにこの子、()(わい)い!」

 近くにいたメルカが黄色い声を上げる。

 土色の短い体毛。
 兎の(  うさぎ  )ような耳。
 (しし)のように丸まった背中。

 その面長の顔は、どこまでが額でどこからが鼻なのか一見して分からない。
 そんな珍獣が、つぶらな瞳でイスメトを見上げていた。
 大きさは犬くらいある。

「もしかして、これって……」
【オマエの想像通りだ。塔でぶっ倒したあのバケモンだよ】

 驚きはあったが疑いはなかった。
 何より外見がそのままだし、珍獣の額には槍を突き立てた跡まで残っていた。

【俺の神域が復活したことで、この世に転生を果たしたらしいな】
「そう、なんだ……ごめんな。痛かっただろ?」

 イスメトは膝を折り、獣の頭を()でてやる。
 途端、のっそりと懐へ潜り込んできた珍獣は、鼻先を伸ばしてイスメトの顔をぺとぺと触った。

「ぶべぶぶぶっ!?」

 実に熱烈なキスだった。
 その豚のような鼻先は湿っており、なんとも言えない感触を伝える。

「ぶぷーぅ!」

 ひとしきり嗅ぎ回って満足したのか、そいつは鼻を持ち上げ鳴き声とも鼻息ともつかぬ音を出した。

【ククク。モテモテだな色男】
「げ、元気そうで何よりです……」

 鼻水まみれにされた顔を拭いながら、イスメトは苦笑する。

【つっても、あの魔獣は死んだ。ソイツはヤツの記憶の一部を引き継いだ、別の個体と考えるべきだな】
「え? だけど、額に傷が……」
【その傷も、来世へ引き継ぐべきと考えたんだろ。二度と(こん)(とん)()ちぬよう、戒めとしてな】

 イスメトの脳裏に、ヌシの最期の表情がよぎった。
 安らかな目をしていた――そう思いたい。

【コイツはオマエの下僕になりてェらしい。名を与えてやれ】
「え、ええ? なんでまた……」
【さァな。罪滅ぼしのつもりじゃねェか?】

 下僕という表現はアレだが懐いてくれてはいるようだ。
 ペットということなら悪くない。

「う、うーん、じゃあ……『受け継ぐ者(カルフ)』っていうのは、どう?」

 珍獣は長い耳をパタパタさせた。
 喜んでいる――ような気がする。

【さて、そんじゃあ……】

 急にセトがぱんと自分の手の平に拳を(たた)()けた。
 瞬間、神力がパリリと渇いた音を立ててほとばしる。

「ちょっ、何する気――」
【神獣カルフに命ずる。今日この時より、()は我が足となり槍となり盾となれ!】

 たちまちカルフの周囲を()(じん)が取り囲む。
 暗雲のように立ちこめるそれらは雷鳴を轟か(  とどろ  )せ、赤い稲光でカルフを貫いた。

「うわーっ!?」

 てっきり死んでしまったのではと焦るイスメトだったが、むしろ逆だった。
 カルフの体は数倍に膨れ上がり、たくましい足で地面を掻いている。
 その口には太く立派な二本の牙が生えそろい、体毛は剛毛となってその身を包んでいた。

「って、あれ? これ……魔猪(カンゼル)!?」
【神獣〈ティフォニアン〉。これが、かつて〈砂漠の民〉の騎馬として活躍したコイツらの真の姿――その一つだ】

 その証拠に、額に揺らめく炎の色は闇の黒ではなく、セトの神力と同じ赤だった。

【そら、とっととコイツに荷物を移し替えろ。この妙ちくりんなロバよりよっぽど早いぜ、コイツは】

 セトが言うロバとは駱駝のことだ。
 聞くに駱駝はセトにとっては『新種』の生物らしかった。

「うわあっ!? な、なんだコイツら、集まって来やがった!」

 荷物をカルフに結びつけていると、後ろで悲鳴が上がる。
 見ると、見送りに来た人々の周りにも珍獣達が現れている。
 どうやら砂漠の砂の中から続々と出てきているらしい。

【俺の神力につられて来たか】
「だ、大丈夫……だよね?」
【害はない。むしろ、砂漠の人間を好いてる。()()く飼い慣らしておくことを推奨するぜ】

 セトのお墨付きを得て、人々は安心したように神獣に触れ始めた。

「この子達、何を食べるんですか?」
【オベリスクに俺の力が(とも)っている間は、砂漠の砂だけで生きていける。それでも餌付けしたいなら萵苣(ちしゃ)をやれ】

 メルカの問いにセトがそう答えたことで、イスメトの荷物に急遽大(  きゅうきょ  )量のレタスが追加された。

「だ、大丈夫かな……結構重そうだけど」
【問題ない。オラ、とっとと乗れ】

 イスメトはカルフの背に(また)がり、手綱を握る。
 全身に大量の袋や鞄を(  かばん  )ぶら下げ、もはやカルフ自身が一つの大きな荷物に見えなくもない状態になっていた。

「そ、それじゃあ行ってきま――」

 別れの言葉は、バシンという(むち)のような音で途切れる。
 イスメトの後ろであぐらを掻くセトが、カルフの尻を叩いた音だった。

「どわあああああ――っ!?」

 瞬間、ブゥンと景色が横に流れた。
 カルフは目にもとまらぬ速さで砂漠を駆けていく。

 色々ありがとうとか。
 すぐに帰ってくるからとか。
 そんなお約束の言葉を交わす間もなく。

 一人と一柱は、スピード旅立ちを決めた。

「イスメト君、がんばー!!」
()(ちゃ)はほどほどになー!」

 メルカとアッサイの声が、かろうじて後方から聞こえた気がした。


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