面白い文章 vs 良い文章

※息抜きに書いた、エンタメ小説の執筆に関する個人的な一つの仮説です。話半分にどうぞ。

描写力って案外必要とされてないかも

読者として私が読みたいなと思うのは、
「良い文章」ではなく「面白い文章」です。

ここで言う「良い文章」というのは、
「表現が良い」とか「描写が上手い」とか、
「文章自体の質が良い」って意味ですね。

「面白い文章」を読む過程で、
「良い文章」にも出会えたらラッキーとは思うけど、
「良い文章」を求めてエンタメ小説を読むことはまずないです。

これは多分、多くのエンタメ好きな読者に当てはまる事ではと思う。

でもエンタメ小説の同人界隈を見ていると
「描写力=ウリ」だと思ってる人がそれなりにいる印象です。

作者自身が、

「描写に力入れてます!」
「戦闘シーン書くの大好きです!」

と説明欄でアピールしていたり。

こういうのを見ると私なんかは逆に読む気が失せるので
個人的にはあまり良い宣伝方法ではないのでは?
と思ったりします。

「濃い描写」といえば聞こえは良い。

けど、このアピールをしてる小説は
コンセプトや構成がおざなりなことが多すぎる……
(あくまで私の少ない読書経験上の話です)

その「濃い描写」で語られるべき中身、
ストーリーの部分が弱い。エンタメしてない。

自分も気をつけないといけないんですが、
描写にしか心を砕いていない小説を書くことと
構成やテンプレを押さえた上で描写にも凝るのとでは
雲泥の差が出るということです。

要は、エンタメを書くために鍛えるべきスキルの中で
「描写力」の優先順位は意外と低いんじゃない?
というお話ですね。

※低いだけで不要ではない

読まれたいなら「描写力<<<構成力」 

文字書きは、ともすれば
描写が緻密なものを「良い文章」と考えがち。
私もそうです。
実際、描写力は高いに越したことはないのでこれは正しい考えです。

でも「読者が求めているか?」という視点で考えると
この考えは間違いとも言えます。
読者は一番に「面白い文章」を求めますから。私もそうです。

じゃあ「面白い」ってなんなのか?
色んな答えがありますけど、
大きいのはやっぱり「ストーリーで心がプラスに動くかどうか」。

プラス方向の感動を作るにはある種のルールがあるので
そのルール通りにストーリーを組み立てられるかで
「面白い文章」が書けるかも変わるでしょう。

ひたすら描写力を磨けば小説が上手くなる
と思い込んでいた時期が私にもありましたが、
それで身につくのは「良い(ように見える)文章」であって「面白い文章」ではないんですよね…

これやると「絵だけが上手いマンガ」みたいになりやすい。

しかも文章は絵と違って、
それ自体の良さは一目では伝わらない。
読者の読解力と、作者のセンスにかかっています。

どちらかというと文学的な思想を持った天才、
もしくは変態(褒めてる)同士が争う世界なんですよね。
文体の個性とか描写の豊かさとか。

エンタメ志向の私みたいなのは
そういう所に容易に踏み入ってはいけないと思ってしまう。

ぶっちゃけ描写が緻密であればあるほど、
読む労力も増えるんですよね。
労力が増えた分、求められるストーリーや世界観の質も高くなる。

同じストーリーなら、
より少ない文字数で読めた方が
高評価になりやすいんじゃなかろうか。

もちろん文学的志向をお持ちの方は突き進めば良い。
けど、割とエンタメ志向な題材なのに
中身は描写重視の重たい作品って場合もあったりして。

そういうの見ると勿体ないと思うときもあります。

描写力って書き手からすると大事に見えるし、
無いよりは有った方がいいものではあるけど、
やっぱり面白さには直結しないんですよね。

たまに恥ずかしげもなく
「○○っていう作家より俺の方が文章上手い」
とか言っちゃうワナビを見かけたりしますけど……

あれも「表面的な描写しか」見えてない典型例ですよね。
そりゃ文章が苦手な作品は私にもありますけど、
「プロ」と「アマ」っていう明確な差が出てる現実は理解しないといかんのです。

プロの小説の構成力とかコンセプトの練り具合ってマジでスゴイし。
むしろそこが小説の「核」だと思うし。
この辺に気づかないとホント成長止まる。(経験談)

かくいう私も昔は戦闘描写にハマってたし、
そういう紆余曲折があって文体は作られていくし、
誰もが通る道なのかもしれないけど……

最終的には「読者の視点を忘れるな」という常識に帰結しますね。

書いて反省してまた書こう

結局、読み終わって
「あースッキリした!」「感動した!」
「燃えた!」「あの関係性憧れる!」
みたいなものがエンタメ小説のすべてだと私は思う。

そういう流れをまずは作れるように
分析&実践を繰り返すのが本当に大事だなと。

だからって描写をサボるのも違うんだけど、
描きたいものを上手く書けるよう試行錯誤してれば
描写力は自然に上がると思う。

むしろ自然に上がる分だけが、
その作品に必要な描写力な気がする。

たまに「こうすれば描写力が上がる」と言って
めちゃくちゃ時間かかりそうな練習法を推奨してる人がいるんですが。
(映画をまるまる一本文字に起こすとか)

そういうのを見るとつい、

「その時間の半分で映画の面白さを分析して、残り半分でとっとと自作品を書いた方がいいのでは?」

と思っちゃうことがあるんです。
というか、あったんです。
そこから考えたことをダラダラと書いてみました。

小説上手くなりたいなら、やっぱりまずは作品を完結させる
そして発表して結果を素直に受け止める。(ここ大事)
そこから自分に足りないものを考える。

そうしたら大抵は
「描写力を磨かなきゃ!」
という結論には至らないと思う。

そのレベルの人はもうプロになってる。

だから描写力を上げるためだけの練習は
同人の内はあまりしなくていいと思うし、
描写力が「ウリ」になるという考えも捨てた方がいいと思う。

「そもそも本当に自分の描写力は高いのか?」
という疑問を常に持ってるくらいが良いと思う。

本当に小説が上手い人は描写力だけをウリにしたりしない。
マンガで絵の上手さだけをウリにするプロが少ないように。

(周囲からの評価でそう言われる場合はあるけど)

写真や映像を書き写す練習法自体は否定しませんけどね。
それだけだと自分の世界に引きこもっちゃう危険性があって。
個人的にはプロの小説を読み込む方が得るもの多いと思ってる。

引きこもって自分は描写が上手いと思い込んでても、
周りから見ると「読みにくい」「無駄が多い」
と思われてることって結構ある気がしていて…

しかも絵と違って文章の良し悪しは
自分では正確に評価しづらい

だから、自分の文体やら描写力やらに「誇り」というか、
「うぬぼれ」を持つのは怖いねっていう話でした。

特に、大して結果を出してない内はね……

この世で一番いらないものは「プライド」だって
シラヌイさんか言ってた。(ぶん投げ)


うーん、なんて主張の弱い文章w
でもなんか楽しかったわ。

最近ずっと新作を書き進めているのですが
とにかく「構成!」「パターン!」「アーク!」
と頭フル回転で試行錯誤ばっかりしてるので、少し疲れていて。

特に手癖で書いた文章は、
大抵翌日の私に全カットを申しつけられてヘコむ。
「今その話関係あります?」って。(笑)

最初は粘土で自由に形を作って楽しんでいたのが、
気付いたら説明書通りにプラモを作る作業に変わっていたりして。
でも、後者の方が私のような凡人は面白いものが書けるので、結果的にはやっぱり楽しんでます。でも凄く疲れます。

だからこんな風に何も考えず
思ったことをダラダラ書けるのは楽しかった。

やっぱ個人ブログ最高やな!

SNSだとこういう長文無理だし。
同じネットでも「公共の場」感ありすぎて萎縮しちゃうし。
ぶっちゃけ怖い場所なのよな。雑音多くて疲れるし。

昔ながらの個人サイト文化、もっと流行ればいいと思う。

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